津田沼教会 牧師のメッセージ
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「唯一の救いへの道」(ヨハネ14:1-14)
ヨハネ14:1-14、2011・05・22、使徒言行録17:1-15、ペトロの手紙一2:4-10、復活後第4主日(典礼色―白―)

ヨハネによる福音書14:1-14
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」





説教「唯一の救いへの道」(ヨハネ14:1-14)

復活節もあと2回ほどになりました。6月5日(日)が昇天主日、6月12日(日)がペンテコ
ステ、6月19日(日)が三位一体主日となります。本日は、先週のヨハネ10:1-16の良い羊飼いのたとえに続き、ヨハネ14:1-14が与えられており、来週がヨハネ14:15-21が与えられています。本日の個所と来週の個所は、主が弟子たちと共に過ごした、最後の教え、告別説教、離別に際しての講話であります。
「あなた方の心を、あなた方は騒がすな」、心を騒がす、これは、コップの中の水をかき回すといった意味の言葉であります。主は、弟子たちが、この後受ける打撃に対して、前もって、準備、備えの言葉を、弟子たちに与えたものであります。主の十字架の死によって、弟子たちは大きな挫折を一度は経験せざるを得なかったのであります。
ところで、ヨハネ14章から17章は告別説教と言われる部分ですが、この順序の通りに、私たちは、記者ヨハネが書き残してくれたものを受け取っていいのであります。いろいろと口頭伝承などがあったために、繰り返しの言葉や、一見矛盾すると思われるお言葉も含まれているのであります。主は、「あなた方は御神へと信じゆだねなさい、そして、私へと信じゆだねなさい」と言われます。そして、「父の家には住みかが多い、もしそうでなかったならば、私が行って、場所を用意して再びやって来ると言っただろうか」と言われます。 
「父のもとにあなた方のために場所を用意しに行く」と、主は言われます。そして、「あなた方は、私が行く所、その道を知っている」と言われました。
ここで、あの疑い深い、そして少し鈍感であるが、信じればどこまでも忠実であるトマスが、言います。「主よ、私たちはあなたがどこへ行くのか分かりません。私たちはどうして、それを知ることができましょうか」と問うのです。主は、「私は、道であり、真理であり、命である」と言われ、「私を通してしか、だれも父のもとへはやっていかない」と言われます。
主イエスは父のもとにいたる唯一の救いの道であり、その父は、真実と、命とに満ちておられる方であります。今度は、フィリポが、「主よ、父を私たちに見せてください」と言います。主は、「フィリポよ、こんなに長い間、私と一緒にいるのに、なぜ、分からないのか。私を見た者は、父を見たのである」と言われます。そして、「どうして、私に父を見せてくれと言うのか」と言われます。そして、「あなたは、私が父においてあり、また、父が私においておられることをあなたは信じゆだねないのか」と言われます。
そして、「私が語る言葉を、私は私自身から話しているのではなく、父が私においてとどまられ、その業どもをなさっておられる。そして、私にあなた方は信じゆだねなさい、すなわち、私が父におり、父が私においておられることを。で、もしそうでないならば、まさにその業ども自体を通して、信じゆだねなさい」というのであります。そして、「まことにまことに、私はあなた方に言っておくが、私を信じゆだねる者は、私が行う業どもを、彼もまた行い、さらには、それらよりももっと大きなことどもを彼は行うであろう。なぜなら、私が父に向かって行くからである」と言われるのです。
私たちは、主の弟子として、主が行われた以上に、世界に、父と子の働き、み業を告げ広める栄誉を与えられているのであります。そして、主は、「私の名においてあなた方が要求することを何でも私がするであろう。その結果、父は息子において栄光をお受けになる」と言われ、「もし何かを私の名においてあなた方が私に要求するならば、私が行うであろう」と言われるのであります。
弟子たちは、これらの言葉を、主の十字架と復活後において悟るのであります。主は、父の家のもとに、私たちの場所を用意しに帰られ、また、私たちのもとに、聖霊を通してお戻りになられるのであります。こうして、父の御意志のままに、主はみ業を果たし、父のもとに帰られ、また、やって来られるのであります。

人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
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2011/05/22(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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