津田沼教会 牧師のメッセージ
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「霊とまことにおける礼拝」(ヨハネ4:5-26)
ヨハネ4:5-26、2011・03・27、四旬節第3主日(典礼色―紫―)、出エジプト記17:1-7、ローマの信徒への手紙4:17b-25

ヨハネによる福音書4:5-26
 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」


説教「霊とまことにおける礼拝」(ヨハネ4:5-26)
 私たちは、今、戦後未曽有の災害の中で礼拝をしています。しかも、時は、主が十字架に向かわれる受難節の時であります。今朝は、四旬節第3主日として、福音、喜びの知らせとして、ヨハネ福音書4:5-26が与えられています。主は難を避けるためであったでしょうか。サマリアの中を通って、ガリラヤに戻ろうとされていました。そして、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くのシカルという町にやって来られました。
 そこに、ヤコブの井戸があって、主は、旅の疲れから、無造作にその井戸の上に腰かけておられました。ヨハネ福音書では、神の子イエスという側面が強いのですが、ここでは、人間としての弱さ、疲れと渇きを覚える主イエスの姿があります。時は、ちょうど昼の12時頃でありました。暑い盛りのこの時刻には、女たちは、普通、水をくみに来ない時間帯であります。それなのに、そこに一人のサマリアの女の人が水を汲みにやって来たのであります。
 私も、神学生となって一年目の春、もう23年も前になります今頃の時期でしたけれども、生まれて初めての海外旅行、「出エジプトの旅」と題する聖地旅行に参加しましたが、バスで、終わり近くなって、ゴラン高原を通って、ガリラヤに入り、そこから、エルサレムに向かう途中、このヤコブの井戸と言われる場所に、バスから降りて見学に行きました。直径2メートルほどの井戸があり、深さは30メートルほどもあるとの説明でした。
 このサマリアの女性は、人目に付かない時刻を見計らって、バケツと、降ろし綱のようなものを持って、やって来たことでしょうか。
 主イエスは、この女性に、「私に水を飲むことを与えてください」と声をかけられるのであります。女性は、驚いて言います。「ユダヤ人であるあなたが、サマリアの女である私に、水を飲ませてくださいと言うのですか」と。それは、ユダヤ人たちは、サマリア人たちと親しくは交際しないからであると理由づけられています。サマリア、北イスラエルは、紀元前700年頃、アッシリア軍によって征服され、捕虜として連れて行かれた人々がいたのと共に、外地から、いろいろな神々を崇拝する民族が植民してきて、サマリア人たちと混血し、主なる神ヤハウェと共に、異なる様々な神々をも拝み、南ユダの人たちや、ユダヤ人たちからは、軽蔑されていて、お互いに交際しない関係となっていたのであります。しかも、見知らぬサマリアの女性に、主は出会って、自ら語りかけられたのであります。
 主は、言われます。「もし、あなたが、神の賜物、贈り物を知っており、水を飲ませてくれと要求した者が誰であるか知っていたならば、自分の方から、願って、彼は、あなたに命の水、生きている水を与えたことであろう」と。女は言います。「主よ、この井戸は深いし、あなたは、バケツも持っておられません。どうやって、水を与えるのですか。」
主は、答えられます。「この水からのむ者は再び、渇くであろう。しかし、私が与える水は、その人の内において泉となり、そこからは永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」と。女は、「主よ、私が渇いて、またここに、くみに来なくていいように、その水を私にください」と。
主は、その時、話を転回して、「あなたは行って、あなたの夫を連れて来なさい」と言われます。すると、女は、「私には夫はいません」と答えます。主は、「あなたは見事に答えた、あなたには、5人の夫がいたが、今一緒にいるのは、夫ではない」と、見抜いて言われたのであります。
 この女性は、どうにもならない過去の渇きを持った女性でありました。それを、全知全能の神の子である主イエスは充分知っておられたのであります。この女性は、「私はあなたを預言者であると見ます」と答えました。そして、しかし、「私たちは、あの丘、ゲリジム山で、礼拝していますが、あなた方は、礼拝すべき場所は、エルサレムにおいてであると言っています」と語り出すのであります。
 主イエスは、「あなた方は、知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。なぜなら、救いはユダヤ人から来るからだ」と言われます。救い主は、ユダヤ人から起こることになっていると主は、明言なさるのであります。そして、「この山でも、エルサレムでもなく、父を霊と真理、まことにおいて礼拝する時が来る、今がその時である」と言われ、神は霊であられるから、誠実に礼拝する者は霊とまことにおいて礼拝しなければならないし、父は、そのように真実に礼拝する者たちを求めておられる」と言われるのであります。今や、礼拝する神殿とか場所が問題ではなく、霊とまことにおいて、礼拝することを神は望んでおられる時であると主は示されたのであります。
 その女の人は、「私たちは、キリストと呼ばれるメシアがお出でになることは存じています、その時にすべてのことを開示してくださるでしょう」と言いました。すると、主は、「私である、あなたと話している者である」と御自分がメシアであることを、このサマリアの女性に啓示されたのであります。
 私たちは、この時から、ゲリジム山でもエルサレムでもない所で、世界中のいたるところで、主なるイエスの体と血において父なる神を礼拝することになることを、本日の記事を通して知らされるのであります。
 今は、主の十字架への道行きを覚える時でありますけれども、主イエスの十字架において裂かれたからだと、流された尊い血を通して、霊とまことにおいて、父を礼拝することが父なる神のご意志であることを、本日の記事を通して知らされるのであります。
 そして、このお方、主イエスは、私たちの心の渇きを十分に御存知であります。私たちは、今、大地震を通して未曾有の危機を生きていますが、家庭の身近なところから、私たちの不満や無関心を癒し、なだめられる主イエスの与えてくださる永遠の命に至る生きた水を与えてくださるようにと求め、そして、主日には、主のみ言葉と出来事を通して、霊であられる父なる神に対して、霊と真理、まことにおいて礼拝することを、神は望んでおられることを、思い起こし、私たちの前に立ちはだかる今日の危機を乗り越えていきたいものだと思います。
一言祈ります。
 父なる神さま。あなたは、本日の主イエスのみ言葉を通して、霊とまことにおいて礼拝すること、また、あなたが、私たちに、礼拝を通して仕えてくださることを、知らされ、感謝いたします。今回の大地震、大津波を通して、私たち日本は、未曾有の困難に直面していますが、あなたへの信頼をなくすることがありませんように。被災者の方々が一日も早く復旧され、一人一人の生活が守られますように。また、私たちの日常の家庭を顧みてください。主イエスの尊い体と血によって、私たちの渇きが癒されますように。キリストによって祈ります。アーメン。
                                  アーメン。
 
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2011/03/27(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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