津田沼教会 牧師のメッセージ
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「驚くべき言葉」(マタイ7:15-29)
マタイ7:15-29、2011・02・27、顕現節第9主日(典礼色―緑―)、申命記11:18-28、ローマの信徒への手紙1:8-17

マタイ7:15-29
 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。



説教「驚くべき言葉」(マタイ7:15-29)

本日のみ言葉は、まず、私たちを戸惑わせ、たじろがせます。マタイ福音書は、特に教会向けの福音書だと言えます。主はまず「あなた方は、偽預言者から気をつけなさい。彼らは羊の皮、服において来るが、中身は、貪欲な狼である」と言われています。これは、主イエスというよりは、後のマタイの福音書の記者が、この出だしの文を付け加えたとも考えられます。これは、ファリサイ派とか、ユダヤ教の者たちではなく、キリスト教が出来ていく中で教会で起こっていた出来事が、背景にあるのでしょう。しかし、主のお言葉は、「いばらからブドウは取れないし、あざみから、いちじくは取れない。良い木は良い実をもたらし、悪い木、腐った木は、悪い実をもたらす。良い木が悪い実をもたらすことはできないし、悪い木が良い実をもたらすこともできない。そして、彼らの実から、彼らをあなた方は認識するであろう」、とあります。
私たちは良い木を見定め、良い預言者について行かなければならないのであります。そして、「よい実をもたらさない木は、すべて、切り取られ、火の中へと投げ込まれると」主は、ここで、洗礼者ヨハネと同じ、終末における主の裁きについて語っておられるのであります。その次には、「主よ、主よと言う者がすべて天の国に入れるわけではなく、天におられる父の御意志を行う者だけが入れるのである」と言われます。
しかしながら、私たちは、自分が天の父の御意志を行っていると、一体だれが自信を持って言えるでありましょうか。私どもの1週間を振り返りましても、怠りや心の中での暗い思い、言葉と思いと行いによって、罪を犯さざるを得ない弱い存在ではないでしょうか。
「あなた方は、しかし、主よ、あなたの名において、私たちは預言しましたし、悪霊を追い出しましたし、多くの奇跡、力あるわざを行ったではありませんかと、かの日において言うであろう。しかし、私は、あなた方を知らない、不法を働く者どもよ、私の前から立ち去れと言うであろう」と主は語っておられます。熱狂的に、主の名によって顕著なことを行ったとしても、天の父の御意志を行う者でなければ、天の国へと入ることはできない、と主は、終末の裁き、最後の審判において、言われるのであります。
しかし、それに続けて、心が和む言葉を主は譬えで語っておられます。「私の言葉を聞いて行う者は、以下の者になぞらえることができようと。すなわち、岩に向かって土台を立て、そこに基礎を置いた賢い人に」と。「雨が降り、川がやって来て、風がうちつけたが、彼の家は倒れなかった、岩を土台としていたからである」と。また、「私の言葉を聞いて、行わない人は次の愚かな人にたとえられよう。すなわち、彼は、砂に向かって彼の家を建てた。そして、雨が降り、川がやって来て、風がたたきつけた。すると、その家は倒れた。そしてその崩壊ぶりは大きかったのである」と、語られているのであります。
「私の言葉を聞いて、行う人になりなさい」と、主は勧めておられます。私たちが良い結果を生み、良い業績を残すことが求められているのではありません。私たちの置かれた平凡な、身近な生活の中で、主のみ言葉に従うことが求められているのであります。今年も早いものでもう2月も終わろうとしています。教会に取りましても、それぞれ個人にとりましても、もう6分の1が終わろうとしているのであります。しかし、私たちにとって大事なことは、主イエスのみ言葉を生活の土台として位置付けることであります。
 「そして、成ったことには、かのイエスが語ることをそれらの言葉を終えられた、そして、群衆は彼の教えの上に驚かされていた。なぜならば、彼らの律法学者のようにではなく、権威を持っている者のように彼らに対して教えておられたからである」、と山上の説教は、結びを迎えるのであります。驚かされる言葉どもを、主イエスはお語りになったのであります。1週間の内に、天の父の御意志に適わない時間がどれほどあったことでありましょうか。しかし、「私の言葉を聞いて行う者は、岩の上に家を建てた賢い人にたとえられる」と、主は約束なさっておられるのであります。
この1年間も、津田沼教会の前途にも数多くの困難が待っていることでありましょう。しかし、私たちは、できるかぎり、主のみ言葉を土台として、神を愛し、隣人を愛し、地の塩としての歩みを続ければ、道はきっと開かれるのであります。
 
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあってあなた方を守るように。アーメン。









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2011/02/27(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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