津田沼教会 牧師のメッセージ
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「地の塩となる」(マタイ5:13-16)
マタイ5:13-16、2011・01・30、顕現節第5主日(典礼色―緑―)イザヤ書58:1-10、コリントの信徒への手紙2:1-5

マタイ5:13-16
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をといもして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」



説教「地の塩となる」(マタイ5:13-16)
 
本日は、顕現節第5主日でありますが、津田沼教会では、いみじくも、総会の日に当たっています。そして、2011年の津田沼教会の主題は「地の塩となる」であり、主題聖句は、本日の福音の冒頭マタイ5:13であります。これは、まったく偶然のことではありますが、私はここに深い主の導きを感じています。
 今日の福音マタイ5:13-16は、いわゆる山上の説教の始めのほうにあります。先週マタイ4:18-25が与えられていました。大勢の群衆が方々から、主イエスのもとに集まり、主は教え、神の福音を宣言し、あらゆる種類の病人を癒しておられたのであります。
 そして、5章に入りまして、主は、群衆を見ながら、弟子たちを連れて山に登られたのであります。そして、主として弟子たちに教え始められたのが、山上の説教であります。群衆を見ながらとありますので、群衆もまた、主イエスの弟子たち、すなわち、教会につながる可能性を十分に秘めているのでありますが、本日の福音は、その前の八福の終りに出て来ます「あなた方、今迫害を受けている者たち、しかも私のゆえに、迫害を受けている者たちは幸いだ。人々は昔の預言者たちにも同じようにしたのである」というお言葉に続いての主イエスの言葉、説教になっています。
 主は、まず、「あなた方は、地の塩である」とはっきりと語り始められます。「地の塩となれ」とか「地の塩にあなた方はなるであろう」というのではなくて、「既に、あなたがたは、地の塩である」と宣言なさるのであります。こんな私が、地の塩であると主は言ってくださるのかと不本意に感じられます。今は冬の寒さに負け、惰眠を貪り、怠けるだけ怠けてしまう自分が恥ずかしくなります。しかし、主は、あなたは、私に従って来るならば、あなたのありのままで、地の塩であると言われるのです。
 塩とは、どんな働きをし、どんな存在でありましょうか。塩は、いうまでもなく、調味料として、食物に味をつける働きをします。その塩は、自分を媒介として、投じて、食材に溶け込み、風味をつけ、塩味をつけるのであります。また、味のある言葉を語れと別の個所で言われていますが、それは、人々と、平和に暮らし、機知にとんだ、メリハリのある言葉を語ることでもありましょう。
 また、塩は、防腐剤として、また、いろいろなものを保存する働きがあります。さらに、塩は、旧約聖書の時代以来、犠牲の動物にふりかけたり、ささげ物の穀物などに、ふりかけられました。ものを清め、浄化する働きを担っていましたし、塩の契約というと、その契約を忠実に守る忠誠心をあらわすものでした。塩は、そのような数々の働きをするのですが、「あなた方は地の塩である」という場合には、この地球の上の人類の塩であると、いうのです。
塩が、人間の生存にとって不可欠のものであるように、地の塩とは、人類にとってなくてはならない存在であるということです。
 しかし、その塩が、塩味を失ったなら、何によって再び塩気が取り戻せようか、それはもはや、何の力も持たず、外に投げられて、かの人間どもによって踏みつぶされる他には、仕方がないとも、警告されているのであります。塩が塩気を失うとは、愚かな、奇怪なことであり、本来、不自然なことであると主は言われるのです。
 私たちは、この社会の中で、塩である使命を本質的に与えられている者であり、教会も中にとじこもってばかりいてはならないことが、示されているのであります。
 タイガーマスク現象というのが、最近日本では注目されていますが、教会も、社会に存在するものとして、奉仕する存在へと招かれているのではないでしょうか。本日の主日の祈りに、ありましたように、「私たちにみ霊を注いで、あなたの愛の器とし、辛苦の道を歩むすべての人に、よき隣人として仕えさせてください」と改めて祈りたい者であります。
 さて、「あなた方は地の塩である」に対応して、5:14-16では、「あなた方は世の光である」とも明言されています。
 主は、山の上に立てられている町は、隠されていることができない、と言われ、また、人々は、ランプを付けて、枡の下には置かない、そうでなく、ランプスタンドの上に置く。そうすれば、家の中のすべてのものを、それは照らすのであると言われ、あなた方の光を、人間どもの前に、光らせなさいと、言われています。私たちは、人類の光として、隠されていることはできないし、そうすべきでもないのであります。地の塩、世の光であることを、堂々と人々、人間どもの前に指し示すならば、人々は、あなた方の見事な行いを見て、天にいますあなた方の父を称賛し、賛美することになると、主は約束されているのであります。
 偽善的に人々に見せるためではなく、公の競技場で正々堂々と麗しい行いをなし、プライベートに隠しておくのではなく、天にいます父があがめられるように、私たちは、行動すべきであります。
地の塩、世の光として、この2011年度の一年間を、ご一緒に走り抜こうではありませんか。私たち一人一人は、欠けも多く、脆く弱い土の器にすぎませんが、主イエスのお言葉に従い、一致して精一杯、働くことにより、私たちを通して、裏では悪口を言われていても、天にいます私たちの父を人々は崇めざるをえなくなると、主は約束して下さっているのであります。この一年のために、総会では、振り返りと共に、いろいろな提案や提言が挙げられます。それらをすべてこなすことはできませんが、一つずつ、やれるところから、一体となって、改善していきましょう。
祈りましょう。
天の父なる神さま。
2011年度の総会が、この後、開かれようとしています。津田沼教会の未来を築くために、みんなで総意を合わせて、力を奮うことができますように導いてください。毎週の一年間52回の礼拝が、充実したものとなるように、自覚させてください。
また、礼拝にとどまらず、いろいろな企画、バザーや特伝、小集会の営みが、充実したものとなりますように。
日本の社会、また、世界は、日に日に変化していきます。正しい目を持って、社会を見つめ、社会のためにも奉仕する教会となりますように。いろいろな事情で津田沼教会を離れている方々をも導いてください。キリストのみ名によって祈ります。アーメ
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2011/01/30(日) 10:30:03| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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