津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神さまの主権の到来」(マタイ4:12-17)
マタイ4:12-17、2011・01・19、顕現節第3主日(典礼色―緑―)、アモス書3:1-8、コリントの信徒への手紙一1:10-17
 
マタイによる福音書4:12-17
 イエスは、ヨハネが捕えられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「ゼブルンの地とナフタリの地、
  湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
   異邦人のガリラヤ、
  暗闇に住む民は大きな光を見、
  死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。



説教「神さまの主権の接近」(マタイ4:12-17)

本日は、顕現節の第3主日であります。主イエスが、宣教を開始なさるという場面が本日の福音、マタイ4:12-17であります。「主は、ヨハネが渡されたことを、聞いた時、ガリラヤへと引っ込まれた」と本日の記事は始まっています。ガリラヤという地名は、周辺とか、辺境という意味があります。そして、主は、故郷のナザレを後にして、カファルナウム、湖沿いの町、ゼブルンとナフタリの境界線におけるその町ににやって来て、そこに落ち着かれるのであります。
当時のユダヤ教の指導者たちは、ガリラヤからは、メシアは現れないと信じていたようであります。ましてや、旧約聖書に一度も出て来ないナザレから、メシアが現れることはないと信じていたのであります。
しかし、マタイは、主イエスこそが、約束されていたメシアであることを記すのであります。すなわち、カファルナウムに住むことによって、イザヤが語っている言葉が、達成されたというのです。
それは、イザヤ書の8:23-9:1に出て来ます。「ゼブルンの地、ナフタリの地、海の道、ヨルダン川の向こう側、異邦人のガリラヤ、薄暗がりにおいて座り込んでいる民は大きな光を見た、死の陰の地に座している、しゃがみこんでいる者たち、彼らに光が現れ出た」とマタイは、旧約聖書から引用し、主イエスこそが、その約束されていた光であり、メシアであることを明らかにするのであります。
そして、その時から、主イエスは、使信を告げ、語ることをお始めになります。「あなた方は、悔い改めなさい。なぜならば、天の国が近づいたからである」と。
天の国、神の支配、そして、神さまの主権が近づいているのであります。時間的にも、空間的にも、あるいは、性質においても、神の支配が主イエスと共にそこまで近づいている、あるいは、既に主イエスにおいて到来しているのであります。
私たちは、主の到来から2000年ほど経ちましても、神さまなしでは、暗闇のなかに、うずくまり、死の陰の地にしゃがみこんでいる哀れな存在であります。しかし、主イエスの到来によって、大きな光を見、私たちに光が輝き出たのを知らされているのであります。
主イエスが、ガリラヤで宣教を始められたときから、私たちは、もう暗闇の中に座すものではなく、罪に打ちひしがれる者ではなく、悔い改めにより、新しい道を歩むことができる者にされているのであります。
そして、本日の主日の祈りにもありましたように、神さまは、み子によって多くの人々を信仰に導き、栄光を顕わされたのであります。神さまの主権が、ガリラヤに主イエスが現れたことにより、接近しているのであります。私たちは、現代世界を見ますに、依然として、いや、ますます闇の中に生活しているようにも思いますが、主イエスの到来とその宣教によって、既に光がうずくまっている私たちに射し込んでいるのであります。
2011年が始まりました。ガリラヤに現れ出た主イエスに従ってこの一年を、人々を信仰に導くことができるように、信仰の賜物を与えてくださるように、父なる神に願っていきたいものであります。

人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン。





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2011/01/16(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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