津田沼教会 牧師のメッセージ
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「慰めの場所か、苦痛の場所か」(ルカ16:19~31)
アモス書6:1-7、テモテへの手紙一6:2C-19、ルカによる福音書16:19-31
2010・09・26、聖霊降臨後第18主日(典礼色―緑―)

ルカによる福音書16:19-31
 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」




説教「慰めの場所か、苦痛の場所か」(ルカ16:19-31)

今年の教会歴に従った福音、ルカによる福音書も、次第に大きな山場へと進んでいきます。
さて、今日の福音、16:19-31は、前半16:19-26、と16:27-31に分けることができます。主イエスが、死後の世界について語っている個所は、一人の同じ女性が、が7人もの兄弟と結婚して子をもうけなかったときは、天国では、だれがその女性の夫になるのかといったエピソードもありますが、本日の個所は、その意味でも興味深いものであります。私たちは、死んだらどうなるのかについて、そのことについて、主イエスご自身が譬えを語っておられるからであります。
前半16:19-26では、生前から死後にかけてのことが書かれています。ある金持ちは、紫の衣や麻布の衣を装って、豪華に楽しく遊び暮らしていたのであります。一方、彼の門前には、ラザロ、「神は慈しむ」と言う意味の名前の物乞いがいて、金持ちの家の門にできものだらけになって、放り投げられていたとも訳せます。彼はせめて、机から落ちるパンくずででも、腹を満たしたいと思っていたが、だれもそうしてくれず、この金持ちも心を配ることなどは考えていなかったのであります。
 彼ラザロの生前の悲惨さは、犬どももやってきて、彼の傷口をなめていたという実態によって、露わにされています。そして、やがて、寿命が来て、ラザロは、天使たちによって、アブラハムの懐へと迎え入れられたのであります。人は死ぬと天使たちのようになると、主は7人の兄弟を夫に持った婦人の譬えの個所で言われていますが、ラザロは、天使たちによって神の国の宴席の場におけるアブラハムのもとに迎え入れられたのであります。
ところが、やがて、金持ちも死に、埋葬されます。この金持ちは、陰府に落とされ、苦しみの炎の中から眼を見上げると、アブラハムのもとに憩っているラザロが遠くに見えます。金持ちは、大声で、父アブラハムよ、ラザロをよこして、指に水をつけ私の舌を冷やすようにしてくださいと頼むのでありますが、アブラハムは、あなたは生前、よいものをもらって、今は悪いものをもらっている。ラザロは、生前悪いものを受け、今はよいものを、慰めを受けているというのであります。
 しかも、二つの場所の間には、隔たりがあって、そちらから、こちらへ来ることも、こちらから、そちらへいくことも、だれも出来ないと語るというのです。それから、金持ちは次善の策を申し出ます。16:27-31であります。では、と、金持ちは言います。私には、5人の兄弟がいます。ラザロを父の家に送って、彼らまで、こんな苦痛の場所へと来ないで済むように忠告させてくださいと。
すると、アブラハムは語るのであります。お前たち、彼らには、モーセと預言者がいる。彼らに聞くがよいと。金持ちは、いいえ、父よ、だれかが死人の中から生き返って言ったならば、悔い改める、メタノイアという言葉から来ていますが、彼らは心を変えるでしょうと。
しかし、アブラハムは言うのです。モーセと預言者、すなわち、旧約聖書を彼らが信じないならば、たとえある者、すなわち、主イエス御自身が復活しても、彼らは信じゆだねさせられはしないであろうと、アブラハムは語ったのであります。
私たちもいずれは、天に召されます。先に送った父、母、あるいは、伴侶のことを思い出す人も少なくないでしょう。私たちは、生前の行い、生き方によって、慰めの場所へいくか、それとも、陰府の苦痛の場所へと行くかが決まるのであります。そして、聖書は慰めか、苦痛か、報いか裁きかのいずれかの場所へと私たちが行くことになることを明らかにし、私たちが、生前の日々の悔い改めの生活によって、慰めの場所へ行く者となるように警告を発しているのであります。私たちは、66巻、旧約聖書、新約聖書のすべてを通して、このことを銘記したい者であります。アーメン。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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2010/09/26(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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