津田沼教会 牧師のメッセージ
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「富の真の用い方」(ルカ16:1~13)
コヘレトの言葉8:10-17、テモテへの手紙一2:1-7、ルカによる福音書16:1-13、
2010・09・19、聖霊降臨後第17主日(典礼色―緑―)

ルカによる福音書16:1-13
 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」




説教「富の真の用い方」(ルカ16:1~13)渡辺賢次牧師

先週は、福音の記事はルカ15:1-10で、なぜ、主イエスは、徴税人や罪人と一緒に食事を取ったりするのかというファリサイ派や律法学者たちのつぶやきに対して、主が語られた二つの譬え話でありました。それに続く本日の福音、ルカによる福音書16:1-13節は、今度は弟子たちに対しての譬え話、お言葉であります。「主は弟子たちにもお話になった」と本日の記事は始まっています。何度も、繰り返し言いますように、これらの譬えも、主が十字架の時が近づいたことを重々、ご承知でエルサレムに顔を向けられるルカ9:51以下の旅の途上での教えとして、この個所に据えられています。
主は語られます。「ある主人に管理人がいて、彼が、主人の持ち物を散らばらせているという告発が主人にもたらされた。そこで、主人は、彼を呼び出し、『私が聞いていることは何なのか、もはや、お前は管理人の仕事をさせておくわけにはいかない。計算書、勘定書を出しなさい』と言ったのである。それで、管理人・家令は、心のうちで言う。『どうしようか、主人は、私の管理人としての仕事をやめさせようとしている。私は他のことはできないし、物乞いになるのは私は恥ずかしい。そうだ、私がどうしたらいいのか、私は分かった、私がこの仕事をやめさせられるときに、私を家へと迎え入れてくれる友達を作っておけばいいのだ。』
そう言って、彼は、おのおのの債務者を呼び出して、聞く。『あなたは、主人にどれくらい多くの借りがあるのか』その者は答えて言う。『オリーブ油100バトスを』と。すると管理人は、『座って急いで、50と書き直しなさい』と言います。また、別の債務者を呼んで『あなたは、私の主人にどれくらい多く借りがあるのか』と聞きます。彼は、『小麦100コロスを』と答えます。管理人は、言います。『あなたは急いで、座ってそれを80と書き変えなさい』と。
ところが、この主人は、この管理人のしたことをほめた。この世の子らは、この時代に対して光の子らよりも、鋭く、俊敏であるからである」とあります。しかし、この文は、「主イエスはこの管理人のしたことをほめた」とも解することができる文章であります。両者を曖昧に表現しているのかもしれません。ルカ福音書は、イエスか、神に対してこの主という表現をたくさん使っているからです。
さて、ここまで、ルカ16:1-8が「不正な管理人の譬え」と言われている部分ですが、この管理人は、その時代の平均よりもより悪くもなく、より良くもないふるまいをしているとも言えましょう。
その後の、16:9-13までは、ルカが、あるいは、ルカが拠った資料がここに付加している主の言葉集であります。主は、「小さな事に忠実である者は大きな事においても忠実である」と、言われ、「小さな事に不忠実である、不義である者は、大きな事にも不忠実、不義である」と言われます。そして、「他人の物に不忠実である者に、だれが、あなたの物をまかせられようか」と、少し難解な文章、言葉を言われています。
 この世の富、マモンは、不義、邪悪であると、主は言われ、この時代は、来るべきメシアの時代に対して、そもそも不義なのであると言われます。私たちの生きているこの時代は不義な、邪悪な時代であると主は言われます。そして、そのこの世の不正な富、マモンをも用いて、金がなくなったときに、これは、彼が死んだときにとも訳せるのでありますが、友達を作っておき、彼らがあなたを永遠の住まい、幕屋、住みかに迎え入れてくれるように、不義な富をも用いなさいと言われるのです。
そして、「しもべは、だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を愛し、一方を憎むからであり、一方の主人にしがみつき、もう一方の主人を見下すからである」と言われ、最後に、「あなた方は、神と富、マモンに兼ね仕えることはできない」と、言われているのであります。
私たちのこの地上の幕屋、肉体は、どんなに剛健だった人も、やがては、衰え、天の幕屋、永遠の住まいへと移されていくものであります。ですから、私たちは、この時代、それを主イエスは不義の時代だとお考えなのですが、その中にあって富、マモンも不義なのであるが、それを来るべきメシアの時代のためにこそ、用いるがいいと弟子たちに警告なさっているのであります。
お金を軽蔑すればいいと、主は言っておられるのではなく、特にルカの描くイエスは、この時代の物質を重視し、永遠の住まいに神によって迎え入れられるようにこそ、物質、財貨を役立たせよと言われるのであります。
私たちは、経済生活の面で非常に苦労しています。津田沼教会もそうであります。これから、バザーの準備が始まりますが、その純益を、社会、たとえば、社会福祉協議会に一部でもささげて、日頃お世話になっているこの地域に還元したいのは山々なのですが、建築の返済に追われて、これからも10年ほどは、そのために用いざるを得ないのです。
しかし、主は、私たちが、この不義の時代の中で、終わりのメシアの時代を見据えて、この世の子らより、鋭く、不義のマモン、富を本日の管理人のように、賢明に用いるように警告なさっておられます。そして、あくまでも、神こそが、私たちの仕えるべき唯一の主人であって、富、マモンの奴隷になることを戒めておられるのであります。
私たちは、神に、そして、十字架にこれからおかかりになる主イエスに従う僕、そして弟子であります。昨日も教会を訪ねた、かなり年配の御夫婦がありました。御主人は、「私は宗教には入らないが、靖国に年に2回は行っている。しかし、宗教では、家内がキリスト教を信じるのを妨げようとは思わない。花見川地区の改革派の教会に妻は行っているが足も弱って来ているから、この教会を訪ねてきた。弱い人には宗教は必要、有益であり、宗教の中ではキリスト教が一番だと思っている」と、ご主人は言っておられました。
この人は日本人の一般的な男の人の考え方で生きている方であろうかとも思いますが、本日の主日の祈りにもありましたように、「神なしには私たちは存在することができない」のであり、聖書に従って私たちは、「み心に従って生きる力」が与えられる者であります。私たちは、確かに弱く、もろい存在ですが、主なる神、主イエス・キリストに従って生きる時にこそ、クリスチャンとして、人間らしく、まともに、そして強く生きていける者だと信ずる者であります。アーメン。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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2010/09/19(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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