津田沼教会 牧師のメッセージ
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「エルサレムへの旅立ち」(ルカ9:51~62)
ルカ9:51-62、2010・07・11、聖霊降臨日第7主日(典礼色―緑―)
ヨナ書4:1-11、ガラテヤの信徒への手紙5:2-26


ルカによる福音書9:51~62
 
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。イエスは振り向いて二人を戒められた。そして、一行は別の村に行った。

 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。




説教「エルサレムへの旅立ち」(ルカ9:51~62)渡辺賢次牧師

 本日の福音、ルカ9:51-62は、新共同訳聖書の小見出しにある通り、前半の9:51-56と後半の9:57-62に分けられます。そしてまた、本日の部分は、ルカ福音書の大きな転換点であります。日本人の書いた福音書シリーズの注解書にルカ福音書の副題として、「旅空を歩むイエス」と題されたものがありますが、その著者は、9:51からルカ福音書は大きな分岐点に立ち、いよいよ、エルサレムで待つ苦難と十字架に向かって、また、復活し、エルサレムから昇天して、父のもとにお帰りになる道筋を立てて、特に本日の9:51から、文字通りエルサレムに向かっての「旅空を歩むイエス」の御言葉や出来事が記されているとしています。
前半の9:51-56は、主イエスがエルサレムで受ける苦難と十字架の前触れであるような出来事であります。最初の言葉は、「で、成ったことには、彼のその上昇の日々が満たされることにおいて、彼はその顔をエルサレムへと進むべく固く固定した」と直訳できます。 
この9:51は、主イエスの固い決意、悲壮な決意がとてもよく表わされています。顔という言葉が、原文では3回使われていて、「自分の顔の前に、使いの者たちを送った」、また、サマリア人たちが主イエスを受け入れなかったのは、「彼の顔がエルサレムへと向かっていたからである」、と出てきます。
当時、ユダヤ人たちとサマリア人たちは、敵対関係にありました。主イエスは、ユダヤ人のメシアとして来られたと考えたサマリア人たちは、イエスの一行、弟子たちを歓迎し、もてなすことを拒んだのであります。
それを見た弟子たち、ヤコブとヨハネは、言いました。「主よ、あなたは、私たちが命じて天から火をくだし、彼らを焼き滅ぼすことをお望みですか」と聞きます。昔、エリヤは、偶像崇拝の預言者たちと戦って彼らを焼き滅ぼしたことがありました。しかし、主は、振り返えられて、そのように言う弟子たちを叱ったのであります。そして、彼らは別の村へと進んで行ったのであります。主は父の御心に9:51、エルサレムへの旅の始めから、最後まで従順に従われるのであります。
 さて、後半9:57-62に移ります。3人との出会いがあります。まず、そして、彼らがその道、その旅において進んでいた時ある人が彼に向かって言うのであります。「あなたが行く所にはどこでも私はあなたに従っていきます。」すると、主イエスは彼に言われたのであります。「狐どもには巣穴があり、空の鳥どもには、住むべき場所、とまり木や雛を育てる巣があるが、人の子には、頭を横にする場所もない」と。この第1の人は主に従って行ったのでしょうか。それとも、ふるんで、立ち去ったのでありましょうか。そのことは、記されていません。主イエスと出会っている私たち、一人一人に、主は今も改めて問いかけておられるのでありましょう。
確かに、主は生前、マリアやマルタの家のあったベタニアで受けたもてなしとか、ファリサイ派の家に食事のもてなしを受けるとかいうことはありましたけれども、主は、「自分にはこの地上には安住の地はない」と語られるのであります。そして、彼に従って来る弟子たちもその同じ覚悟がいることを主はその人に知らしめたのであります。
第2の出会いの人には、主が自ら招かれます。「私に従ってきなさい」と。すると、その人は言うのであります。「主よ、まず、父を葬りに行くことを認めてください。」すると、主は、「死人どもに、彼らの死人どもを任せなさい。そして、あなたは出て行って神の国、神の支配を広く遠く宣言しなさい」と言われるのであります。
神の国が近づいていること、やって来ていることを告げ知らせることが、主の弟子として何よりも、優先されなければならないのであります。
そして、第3の出会いの人は、言うのであります。「あなたに従いましょう、主よ、で、主よ、まず私の家の者たちに別れのあいさつに私が出て行くことをお認めください。」すると、主は、「鋤に片手を置いてから、後ろを見る者は、神の国、神の支配にふさわしくない、神の支配が切迫している中で、後ろを振り返り、先を見ない者は、神の国に使用できない、使い物にならない」と、主は、十字架を目指すこのときに、弟子であることの義務と特権を改めて自覚させるのであります。
主イエスが、すべての人のために苦難の道を歩まれたように、私たちもみ子の従順に従い、与えられた道を戒めに従って、謙虚に歩む力を、本日のみ言葉から与えられていきたいものであります。

天の父なる神さま。
 1週間を振り返りまして、怠慢と愚痴と不平を抱き、言葉と思いと行いによって、多くの罪を犯しましたことを懺悔します。
本日は参議院選挙の日でもありますが、私たちが良き市民として、よき公僕、政治家を選び、この社会が少しでも、不正からまぬかれ、正義と良心が国民の間にゆきわたりますように、お導きください。体の弱っている人、病床にある人、また、いろいろな事情で毎週の教会生活を守れない人を覚えます。どうぞ、聖霊によって、この教会につながるすべての人が、み言葉に従って歩むことができるように、助けてください。1週間の歩みを感謝しつつ、キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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2010/07/11(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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