津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「私が与える平安」(ヨハネ14:23~29)
ヨハネ14:23-29、2010・05・09、復活後第5主日(典礼色―白―)
使徒言行録14:8-18、ヨハネの黙示録21:22-27

ヨハネによる福音書14:23~29
 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。



説教「私が与える平安」(ヨハネ14:23~29)
 
私たちは、復活節を祝ってきましたが、本日は復活後第5主日であり、来週は、昇天主日、そして再来週は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)となります。特に復活後の主日としては、本日が最後になります。先週に引き続いて、復活後第5主日に与えられている福音も、ヨハネ福音書14:23-29であり、主イエスが、十字架の死に向かう前に、弟子たちに語った告別説教、告別講話と言われる部分の1節であります。
イスカリオテでない方のユダが、「先生、私たちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、何故ですか」と質問したのに対して、それに答える形で語られた言葉が、本日の福音の記事であります。
イエスはそれに答えさせられて言われます。「だれかが、私を愛するならば、その人は私の言葉を守るであろう。そして、私の父も、彼を愛するであろう」と言われ、そして、「彼に向かって私たちはやって来るであろう、そして、私たちは彼の所に滞在するであろう」と言われるのであります。「私を愛さない者は、私の言葉どもも守らないのである。そして、あなたがたが、聞いている言葉は、私のものではなく、私を遣わした父のものである。これらのことどもを、あなたがたのところにとどまっている時に、私はあなたがたに語った」と言われます。
本日の祈りにも、「すべての良きものの源である神さま。あなたの聖なる息吹を与えて、正しいことを考え、それを実行できるように導いてください」とあります。私たちは、主イエスのみ言葉を聞いて、何が正しいかを知ることができ、聖なる息吹によって、それを実行し、守ることができるようになるのであります。それが、聖霊の一つの働きであります。
で、しかし、弁護者、パラクレートス、助け主、仲介者、とりなし手、あるいは、カウンセラーとも訳せる聖霊が、「それは、父が私の名において送るであろう方だが、その方があなたがたに対してすべてのことを教えられ、あなたがたに私が語ったすべてのことどもを思い起こさせるであろう」と言われます。聖霊は、ニケア信条にもありますように父と子から、送られるものであります。聖霊は、主イエスの語った言葉を、後に私たちがそのすべてのことどもを分かるようにしてくださる方であります。
また、私たちが、主日に教会に集い、み言葉を聞くのも、聖霊が、真実の霊、パラクレートスが、導いて下さっているのであります。
そして、主は言われます。「平和を私はあなたがたに残す、私の平和、平安をあなたがたに与える」と言われるのであります。主は、この遺言ともいえる講話において、私たちに平安を残していくと言われるのであります。このあと、主はユダに裏切られ、十字架の死に追いやられ、弟子たちは、主イエスを奪われて、平安どころではない混乱と絶望の中に追いやられるのでありますが、主はこの世が与えるような平安ではなくて、困窮のどん底に追いやられるのですが、主は、その後に、聖霊の働きを通して「私の平安」をあなたがたに残すと言われるのであります。この世は、いかなる権力も、知恵もそのような平和を与えることが出来ません。当時の、力による「ローマの平和」も、主イエスの与える平和を与えることはできないのであります。
主は、遺言のように、この言葉を残し、「心を揺り動かされるな、臆病な心にさせられるな」と勧められます。私たちが、毎週主の日に集まるのは、この世が与えることのできないキリストの平和に与るためであります。1週間、1週間を振り返りましても、私たちには戦いがあり、試練があります。
しかし、主の十字架と復活、そして、主が父の所に出発し、また、私たちのもとに帰還する、そして、父も、主イエスを愛する者のところに来て、神とみ子なるイエスは、私たちの内に内住すると言われるのであります。「私があなたがたといるときに、あなたがたに言った言葉をあなたがたは聞いた。すなわち、私は出発しまた、あなたがたのところにやって来る。もしあなたが、私を愛してきたのなら、私が父に向かって出発することを喜んだはずである。なぜなら、父は私よりも偉大な方であるからだ」と、主は謙遜し、父に屈従して言われます。そして、「今、その事が起こる前に、私はあなたがたに対して言った、それは、それが起こったときにあなたがたが信じるためである」と。
私たちがの益となるために、主イエスは、私たちのもとから出発し、また、戻って来られるのであります。主イエスが、十字架の上に上げられ、また、天の父のもとに出発なさることは、私たちの救いのためになくてはならない神のご計画であり、ご意志であったのであります。復活節のこの時期を喜びながら、感謝してこの1週間も過ごしていきたいと思います。アーメン。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。



スポンサーサイト
2010/05/09(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。