津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主イエスの栄光と出発」(ヨハネ13:31~35)
ヨハネ13:31-35、2010・05・02、復活後第4主日(典礼色―白―)
使徒言行録13:44-52、ヨハネの黙示録21:1-5

ヨハネによる福音書13:31~35
 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」



説教「主イエスの栄光と出発」(ヨハネ13:31~35)
復活後第4主日を迎えました。本日は、告別説教と言われる部分の最初の記事が与えられています。ヨハネ福音書の13章31節から、35節までの短い部分であります。「彼が出て行くと、主イエスはお語りになる」と本日の記事は始まっています。彼とは、イスカリオテのユダのことであります。主イエスが弟子たちの足を洗うという出来事の後のことであります。
主は言われました。「今や、人の子は栄光を受けた、そして、御神も彼において、すなわち、人の子において、栄光をお受けになった。もし、神が彼において栄光を受けたのなら、御神も彼に対して、すなわち人の子に対して、御自分において、栄光を与えるであろう、そしてすぐにも、彼に対して栄光を与えるであろう」とまず、言われるのであります。ユダに裏切られ、敵対者たちの手に渡され、十字架につけられて死ぬことを、主イエスは、栄光を受けること、また、それは、父なる神が栄光を受けることでもあると断言なさるのであります。
普通に考えれば、死に渡されることは、むしろ敗北であり、すべての望みの終りでありましょう。しかし、主は、十字架に上げられることを、栄光を受けることだと言われ、また、御神も、それによって、栄光を受けることであり、それによって、父なる神と子なるイエスは、お互いに栄光を与えることになるというのであります。
主は、自分の死のあとに残される弟子たちに、約束、あるいは遺言とも言うべき言葉を与えられるのであります。
「小さい子たちよ、なおほんの少し、私はあなたがたと共にいる。そして、ユダヤ人たちに言っていた通り、あなたがたにも言っておく。私が出て行く、出発していくところに、あなたがたはやって来ることができないと、今は語っておく」と。
主の出て行く所、出発していく所に、弟子たちは今は行くことができないのであります。主は、十字架の死から復活し、父のもとに出発していくのであります。
しかし、ここで、主は新しい掟、古くて新しい教え、勧告を与えると言われます。それはすなわち、「あなたがたが、お互いに愛することであり、ちょうど、私があなたがたを愛したように、あなたがたもお互いに愛することである」と言われるのであります。主イエスは、本日のみ言葉の前で、弟子たちの足を洗っておられます。それが、かつてなかった新しい掟であります。旧約のレビ記には、「あなたは、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」とあります。しかし、ここでは主は、「私があなたがたを愛したように、お互いに愛し合いなさい」と新しい掟を与えられるのであります。聖霊降臨後に生まれる教会、すなわち新しい共同体のメンバーが迫害の中にあっても、お互いに愛するということであります。
弱点や欠点をもっている私たちが、主イエスが愛して下さったように、愛し合うのであります。そして主はさらに言われます。「このことにおいて、すべての人たちは、あなたがたが私の弟子であることを認識するであろう、もし愛をあなたがたがお互いにおいて持っているならば」と。
それから、およそ2000年たった私たちの教会においても、私たちが、主イエスに倣って、足を洗い合い、お互いにおいて愛をもっているなら、私たちの身内も、あるいは、私たちの信仰に反対する人たちでも、皆が、主イエスの弟子たちであることを、認めざるを得ないであろう、そして、教会は広がっていくであろうと主は、約束なさるのであります。
私たちは、主イエスのごとく、完全な者ではなく、なかなか、相手を心から尊敬し合えず、妬んだり、かろんじたりする弱い存在であります。しかし、主が父のもとに向かって出発し、また、み子と御父が、相互において栄光を与える、十字架の出来事と復活を通して、何よりもお互いに愛し合う関係になることを、主は命じられており、かつてなかった新しい掟として、御自分が身をもって示された相互愛の教えを与えられているのであります。
主の復活において与えられるこの喜びを、私たちは守るべき新しい掟として受け入れ、赦しあい、助けあって生きていきましょう。

私たちの内に働くみ力によって、私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に教会により、また、キリスト・イエスによって栄光が世々限りなくありますように、アーメン。


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2010/05/02(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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