津田沼教会 牧師のメッセージ
「種がまかれた四つの土地」(マタイ13:1〜9)
マタイ13:1−9、2005・07・31、聖霊降臨後第11主日(緑)
イザヤ書55:10-11、ローマの信徒への手紙8:18-25、

マタイによる福音書13章1節〜9節
 
その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まってきたので、イエスは船に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは、百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」


説教「種がまかれた四つの土地」(マタイ13:1〜9)
 聖霊降臨後第11主日に与えられています福音は、マタイ福音書13章の1節から9節であります。マタイ福音書11章には、七つの天の国の譬えが収められています。そして、本日の福音書の箇所は、その第一番目の譬えであり、共観福音書と呼ばれます他のマルコにも、ルカにも記されていますが、その中でもマタイは、非常に練られた文体といいますか、整えられた文章となっています。この時期に、この箇所が与えられている意味についてしばらくご一緒に考えてみたいと思います。
 まず、今日の福音書の出来事また、主イエスの語られたお言葉、譬えについて、思い起こしてみましょう。それは、こういうものでありました。主イエスは、その日に、家を出た後、海のそばに、座っておられました。すると、大勢の群衆が集まってきたので、船に乗り込み、そして、座られたのであります。そして、多くのことを、譬えにおいて、まずはこうお語りになりながら、しゃべられたのであります。
「見よ、種を蒔く人が、種蒔きに出て行った。そして、ある種どもは、道に沿って落ちた。すると、鳥どもがやってきて、ついばみ、それらを飲み込んだ。また他の種どもは、石の多い土地どもに向かって、落ちた。それは土の深みを持っていないので、すぐに上に芽を出した。それから、太陽が昇り、それは、焼き付けられ、なえてしまい、枯れてしまった。また、別の種どもは、茨どもに向かって落ちた。そして、茨が伸びてきて、それらを窒息させた。また、別のものどもは、良い土地に向かって落ちた、そして、あるものは100倍、あるものは、60倍、また、あるものは、30倍の実を結んだ。耳のあるものは聞くがよい」と。
 主イエスは、群集に向かっては、このように多くのことを譬えで語られたのであります。この譬え、パラブレという言葉は、多くの意味を持っており、ことわざとか、謎とか、比較とか、本日の場合のように、自然や日常生活を使って語られる物語をさすこともあります。主イエスは、旧約聖書にのっとり、あるいは、当時のラビたちがよく用いた表現として、この「譬え」というやり方で、群集に向かって教えを説いたのです。本日の種を蒔く人の譬えは、いろいろな解釈ができると思います。み言葉は、主イエスによって、あるいは、神によって、すべての人に蒔かれています。しかし、大切なことは、そのみ言葉を聞いて、行うことであるということを、主イエスはお教えになっておられると、考えることが出来ます。また、神の国の成長あるいは終末のときの収穫を表わすものとして、この譬えを主は語っておられるとも考えることが出来ます。この譬えが示すように、神の国は、すべての人へと与えられていますが、それは、失望や挫折や失敗に出会います。しかし、そのような多くの困難にもかかわらず、最終的には、神の国、天の国は、奇跡的とも思われる多くの実を結ぶ収穫に到達するものとして、この譬えを考えることもできます。
 私たちは、本日の譬えから何を受けることが出来るでしょうか。私たちは、既に、神の言葉、主イエスの言葉を聞いて、承知している者であります。しかし、なんと、私たちは、み言葉からすぐに離れやすい者でしょうか。マルコは、良い地に落ちて実を結んだ種をあるものは30倍、あるものは60倍、あるものは、100倍の実を結んだとなっていますが、マタイは、あるものどもは、100倍、あるものどもは、60倍、あるものどもは30倍の実を結んだとしています。四つの土地にまかれた種は、そのうちの三つの場所では、結局は実を結ぶことは出来なかったのですが、マルコのほうが、ある程度種が生き延びた順序としては、30、60、100倍と道の上、石地、藪のなかでの成長といいますか、生き延びた程度にあっているようにも思われます。
 しかし、マタイは、人の思いを超えて、神さまがなされる奇跡的な神の国の成長、収穫を示すものとして、逆にして、100倍、60倍、30倍にもなった種どもについて語りたいのでしょうか。
 本日のイザヤ書の言葉にもありましたように、神の降らされる雨や雪は空しく、天に帰ってくるようなものではなく、神の言葉もむなしく天に帰ってくるようなものではありません。それは、必ず実を結ぶのであります。私たちはそれを信じることが大切であります。
 本日の譬えを聞いていた群衆は、何を理解することが出来たでありましょうか。また、私たちは、何をここの譬えから学び取ることが出来るでありましょうか。本日のこの記事で、私たちは、主イエスが家から海のそばに、湖のそばに出て行かれたことを知っていますし、主イエスご自身の表現を通して、種をまく人が種まきに出て行ったとは、主ご自身のことであることを知らされます。当時の農法が、種をまいた後に耕すのであったにしろ、耕した後に種をまいたであったにしろ、その両方をやっていたにしろ、主イエスは、2000年を隔てて、今もなお私たちに向かって、また、すべての人に向かってみ言葉という種をまき続けておられることを、本日の譬えを通して知らされるのであります。
 現代は、主イエスがこの譬えを語られていた時代とは違って、はるかに生活は便利となり、科学は発達し、高度の文明を私たちは享受しています。しかし、逆に、それらを間違って使えば、どうにもならなくなるような、ある面では、かつてなくより危険な文明の中を、私たちは渡り歩いています。主イエスのお言葉に従うことが、むしろ、以前にもまして、より困難な時代を生きているともいえます。
 しかし、私たちが、主イエスの言葉を、しっかりと受け取り、また、実行して、100倍、60倍、30倍もの実を結ぶものとなり、あらゆる失敗や失望や挫折をも乗り越えて、今も主イエスがあるいは神が、種をまき続けられておられるその大きな忍耐に、しっかりと応えていく者にさせていただきたいものであります。ひとこと、お祈りします。
 天の父なる神さま。
 あなたは、み子、主イエス・キリストを通して、神の国の譬えをお示しくださいました。
四つの土地に、あらゆる土地に、主イエスは、今もみ言葉という種を聖書を通し、また、私たちキリスト者を通して、まき続けておられます。どのような環境にあろうとも、主ご自身は、失望すべきことや挫折、失敗にであっても、私たち人類をを見捨てることはありません。私たちがそのことを知り、それに応えて、豊かな実を結ぶことが出来ますように。あなたから離れやすいしもべを憐れんでください。この感謝と願いを、キリストによって、み前におささげいたします。アーメン。
2005/07/31(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)