津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主に立ち帰り、実を結ぶ」(ルカ13:1~9)
ルカ13:1-9、2010・03・07、四旬節第3主日(典礼色―紫―聖餐式)
出エジプト記3:1-15、コリントの信徒への手紙一10:1-13

ルカによる福音書13:1~9
 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくがあなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」




説教「主に立ち帰り、実を結ぶ」(ルカ13:1~9)
本日は、四旬節第3主日であります。そして、四旬節に大変ふさわしい悔い改め、主への立ち帰りの必要があることを勧める出来事と、主の語られた譬えが、本日の福音として、与えられています。ルカでは、9:51以降、主イエスの一行は、エルサレムに向かって、十字架に向かって進んで行く旅の途上の出来事として、構成されています。
けれども、おそらく、本日の出来事と譬えは、エルサレムからまだまだ遠い位置において、起こった出来事のようであります。ひょとしたら、まだ、ガリラヤの領域内での、また、そのシナゴーグで教えられていた時に、起こった出来事であったかもしれません。しかし、ルカは本日の出来事を旅の途上においています。
そして、時を見分けることの大切さを説き、裁判官の裁きの厳しさを、説いた後に、今日の記事は始まるのであります。その時に、ある人たちがやって来て、エルサレムの神殿で、いけにえをささげていたガリラヤ人たちが、ポンティオ・ピラトによって、虐殺され、ピラトは、その者たちの血といけにえの血を混ぜたというのであります。ガリラヤ人たちは、ローマ帝国に反対する暴動をしばしば起こしていたと言われます。この事件は、人為的な禍でありました。主は、その者たちが、他のガリラヤ人よりも罪深かったから、そのような目にあったとあなたがたは考えるのか。いいや、私は言っておくが、あなたがたも皆、悔い改めなければ、同じように滅びるであろうと警告されるのであります。
 そして、続けて言われます。最近、エルサレムのシロアムの水道、池に面して建っていた塔が倒れて、その下敷きになって死んだ18人は、他のエルサレムの住民よりも、罪深かったからだと思うのか。いいや、私は言っておくが、あなたがたも、悔い改めなければ、皆、同じように滅びるであろうと警告なさるのであります。これは、自然的な災害によって命を落とした者たちであります。
主イエスは、その人たちにより深い罪があって、虐殺や、倒壊による死に至ったとは言われません。私たち皆が、悔い改めの日々を、すなわち主に立ち帰り、実を結ぶ日々を送らなければ、罪であり、そして罪の結果が死であり、滅びであると教えられるのであります。
しかし、本日の記事の重点は、後半の主イエスのなさった譬えにあります。ある人がぶどう園を持っていて、いちじくの木をそこに植えました。ユダヤでは、当時、そのようなことがよくあったと言われます。その主人は、三年間毎年、いちじくの実がなっているかどうか、探しに来ましたが、見つけたためしがありませんでした。
そこで、園丁に、私は、毎年いちじくの実がなっているか、見に来たが、何もなっていない。どうして、その地を無駄にしておくのか、切り倒せと言うのであります。それに対して、園丁は、ご主人様、もう一年待って下さい。私は、周りを掘り、肥やしをやってみます。それで来年、実をつければ結構です。それでもだめなら、あなたが切り倒すでしょうと、語るのであります。
悔い改めて、実を結ぶように、園丁である主イエスが、ご自身の十字架の死によって、とりなして下さっています。ぶどう園や、ぶどうの木、いちじくの木は、イスラエルをしばしば指すものでした。今日の譬えを聞いていたイスラエルの人たちは、この譬えを聞いて、自分たちが神とみ子によって忍耐づよく、実を結ぶことを待ち望まれていることを知ったでしょう。私たちは、神の忍耐に応えて、実を結ぶものとなりたいものです。
                                 アーメン。
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2010/03/07(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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