津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリストに聞け」(ルカ9:28~36)
ルカ9:28-36、2010・02・14、変容主日(典礼色―白―)
申命記34:1-12、コリントの信徒への手紙二4:1-6

ルカによる福音書9:28~36
 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしている最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。


説教「キリストに聞け」(ルカ9:28~36)

本日は変容主日を迎えました。顕現節の最終主日でもありますが、私たちは、毎年、受難節に入る前の日曜日を変容主日として守るのであります。主の変貌の山がどこの山であったかは、明らかにされていませんが、ペトロが「あなたは、神からのメシアです」と信仰を告白してのち、主が受難予告をして、ルカによれば、「成ったことには、それらの言葉ののち、およそ、8日ほどして、主は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、祈るために山に登られた」のであります。ルカのイエスは、大事な節目、節目のときに、祈ることをよくなさいます。
私どもも、普段、なかなか、祈りの時を持てず、特に忙しいときには、祈りを忘れて、生活しがちでありますが、むしろそのような時にこそ、主イエスがなさったように、落ち着いて祈りの時を確保したいものであります。
さて、主イエスが祈りをなさっている間に、成ったことには、彼の顔の外観が別のものになり、衣も光り輝いていたのであります。そして、ペトロたちは、夜の出来事であったのか、眠気でまぶたが重くなっていたのですが、こらえて見ていると、見よ、二人の人が、彼と話し合っていた、それは、モーセとエリヤでありました。どうして、そのように、ペトロたちが判別できたのかは分かりません。そして、彼らは、彼の最期のこと、すなわち、彼の天への出路、エクソドス=出エジプトのことを論じ合っていたのであります。
ルカによる福音書は、エルサレムの神殿でのザカリアに天使が現れることから、始まり、最後は、弟子たちがエルサレムの神殿の境内で神をほめたたえていたという記事で終っています。そして、ルカ福音書は、本日の記事のあと、間もなく9:51節から、エルサレムに主が顔を向けて歩んで行く旅の途上での出来事、なさった奇跡や教えの記事となっており、ある日本語のルカ福音書の解説書では、ルカ福音書は、「旅空を歩むイエス」と副題がつけられているのであります。
主イエスが、モーセとエリヤと話していたのは、先ほども言いましたように主イエスの「最期」のことでありまして、もとの原文では、出エジプトを意味する「エクソドス」となっています。そして、彼のエクソドスとは、私たちの罪からの出エジプト、罪からの出路であって、3人は、神のご計画に従っての、主イエスの受難、十字架の死、そして、埋葬をへて、ご復活と昇天が定められていたことなのであります。モーセは、エジプトからの脱出を成功させましたが、主イエスは、新しいモーセであり、神に選ばれた民イスラエルに変わる新しい、教会の民を地上にもたらすのであります。
やがて、モーセとエリヤが、離れていこうとしたとき、ペトロは、イエスに向かって言います。「私たちが、ここにいることは、すばらしいことです、私たちは仮小屋を造りましょう、あなたがたのために、3つ」と言います。彼は、何を言っているのか分からなかったのであるとあります。
それらのことを、彼が語っている間に、彼らを雲が覆った、そして、雲の中に彼らが入って行くので、彼らは恐れたとあります。
すると、天から声が起こった。それは、こういうものであった。すなわち、「これは、私の子、選ばれた者、彼に聞け」との声がなったのであります。主イエスが洗礼を受けた時には「あなたは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と主イエスが聞いたのでありますが、今回は、「これは私の子、選ばれた者、これに聞け」という弟子たちにも聞こえる声でありました。
わたしたちは、キリストの言葉に聞き従わねばなりません。他にどんなに魅力的な教えや、人物がでましょうとも、聖書に記されているキリストに聞くことが必要なのであります。なぜならば、主イエスの言葉には、決して間違いがないからであります。そして、主イエスは、王なる神が生んだ独り子なる神の子であり、同時に苦しみ、十字架におつきになって、私たちの罪をあがなう「選ばれたしもべ」であるからであります。
彼ら、3人の弟子たちは、沈黙を守り、それらの日々、何も、誰にも知らせなかったと、本日の出来事は終わっています。
この日の主の変容と、モーセ、エリヤが主と相談し合ったことは、主イエスの十字架の死と復活、昇天ののちに、初めて、弟子たちには意味、その重大さが理解できたのであります。
この日の主イエス・キリストの出来事は、天からの啓示の出来事でありました。キリスト教は、啓示の宗教であります。超越的な出来事がしばしば記されています。私たちのこの世界での経験を越えた、理性や常識では決して起こりえないことであります。
私たちは、主の変容を通して、主が、このあと、エルサレムに向かい、神の予定された計画、すなわち主の苦しみ、受難、十字架と埋葬、三日後の復活、そして、昇天によって、救いの計画が実現することを知らされているのであります。
毎日の生活の中で私たちが出会う一人一人に、主イエスがすべての人のためにおいでになられたことを、希望をもって知らせていく者とされたいと思います。アーメン。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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2010/02/14(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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