津田沼教会 牧師のメッセージ
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「真の弟子であるために」(ルカ6:17~26)
ルカ6:17-26、2010・01・31、顕現節第5主日(典礼色―緑―)
エレミヤ書17:5-8、コリントの信徒への手紙一12:27-13:13

ルカによる福音書6:17~26
 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また、病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。

さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたはふこうである。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」




説教「真の弟子であるために」(ルカ6:17~26)
 本日の与えられています福音は、ルカ6:17-26であります。これは、前段の6:17-19と後段の6:20-26に分けることができます。前段では、主は、山に上り、徹夜で祈られた後、12使徒を選ばれた後に続く個所であり、彼らと共に山をくだられた後、水平な場所に立たれたのであります。
そこは、より多くの人々が集まることのできる場所でありました。12使徒のほかに、彼の弟子たちの多くの群衆と、おびただしい大勢の民衆が、全ユダヤから、エルサレムから、また、シドンとティロスの海岸から、来ており、彼らは、彼に聞きに、そして、多くの病気を癒されるために、来ていたのであります。そして、汚れた霊から悩まされていた悩まされていた者たちは、治癒されていたのであります。そして、すべての群衆は彼に触れようとしていました。なぜならば、彼から力が出ており、そしてすべての者たちを癒していたからであります。
しかし、大事なことは、主イエスに癒されるために、人々はやって来ていたのみならず、彼に聞くために彼らはやって来ていたという点であります。神は、本日の祈りにありましたように、「命の言葉であるみ子によって、私たちの目と耳を開いてくださる」のであります。主イエスの語られるみ言葉によってこそ、私たちは、真に癒されるということができましょう。
そして、主は、その眼を彼の弟子たちへともたげて、語っておられたのであります。それは、こういう言葉でありました。
「祝福されているのは、貧しい者だよ、なぜなら、あなたがたのものなのが、神の国であるからである。祝福されているのは、今飢えている者たちだよ、あなたがたは満腹にされるであろうから。祝福されているのは、今泣いている者たちだよ、あなたがたは笑うことになろうから。祝福されているのは、人間どもがあなたがたを憎むとき、そして、人の子の故に、彼らがあなたがたを追い出し、軽蔑し、あなたがたの名を悪いものとしてみくびるときのあなた方だよ。その日には喜び踊れ、なぜなら、見よ、天においてあなたがたの報いは大きいからである。なぜならば、彼らの先祖たちも、同じことを預言者たちに対してしてきたからである。しかし、あなたがたに災いあれ、富んでいる者たちよ、なぜなら、あなたがたは慰めを受けてしまっているから。あなたがたに、災いあれ、今満腹している者たちよ、なぜなら、あなたがたは飢えるようになるからだ。あなたがたに、災いあれ、今笑っている者たちよ、なぜなら、あなたがたは、悲しみ泣くようになるから。災いなるかな、あなたがたに、すべての人がよく言うときには。なぜならば、同じことを、偽預言者地に対して、彼らの先祖たちもしてきたからである」、と言われたのであります。
私たちは、たとえば、障害の病や困窮におかれて、小さくされるときに、神は祝福して助けて下さるのであります。富んでいること、お金それ自体が、悪いというのではありません。それによって、貧しいラザロを顧みず、自分の欲望に従って生活した金持ちのようになってしまうことが、真の弟子であることから離れてしまうことになるのであります。 
聖書は、私たちがいのちの言葉であるみ子イエスによって、生きるように、招いています。私たちは、そのみ子のみ言葉に従って歩むか否かによって、真の弟子であるかどうかが決まるのであります。私たちは本日の主日の祈りにありましたように、「聖書の宣べ伝えていることを、喜んで信じ、行うことができるように」主のみ言葉に従って行きたいと思います。アーメン。
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
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2010/01/31(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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