津田沼教会 牧師のメッセージ
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「ベツレヘムの星」(マタイ2:1~12)
マタイ2:1-12、2010・01・03、顕現主日(典礼色―白―聖餐式)
イザヤ60:1-6、エフェソの信徒への手紙3:1-12

マタイによる福音書2:1~12
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
 『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現われた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。



説教「ベツレヘムの星」(マタイ2:1~12)

本日は顕現主日であります。私たちのルーテル教会では、元旦の直後の最初の日曜日が主の顕現、ローマ・カトリック教会の言い方では、「主の公現」の主日として、昔から本日の記事、マタイ2:1-12が与えられています。私たちは、毎年毎年、1年の最初の主日に、本日の福音を聴くことを続けているのであります。
ところで、ルカによる福音書2:1-20では、み子、主イエスの誕生が、最初に、羊飼いの野で野宿をしていた、多分、さげすまれていたであろう羊飼いたちに知らされ、彼らが最初に、ベツレヘムの馬小屋でお生まれになったばかりの主イエスを訪問するのですが、マタイでは、まず、異邦人たちに、ユダヤ人の王としてお生まれになったみ子の誕生の知らせが、主の星、やがてベツレヘムまで導くことになる星が現れることによって、知らされるのであります。
 キリスト教が、パウロなどによって、最初に伝えられていったヨーロッパの教会につながって行った彼ら、異邦人たちは、この記事を、大きな喜びをもて、繰り返し読み、礼拝において「主の公現」として祝ってきたのであります。本日の記事を、もう一度ご一緒に思い起こしてみましょう。
 主イエスは、ヘロデ大王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。そのときに、見よ、東方から、マギたち、占星術の学者たちが、エルサレムに到着して、言うのであります。ユダヤ人たちの王として、お生まれになった方はどこにおられますか、と。
 それを、耳にして、ヘロデ大王は、うろたえたのであり、全エルサレムも同様であったと記されています。真の王であるメシアの誕生に、彼らは不安になるばかりでありました。それで、王は、民の祭司長たちと、律法学者たちを呼び集め、聖書では、メシアはどこに生まれることになっているのかと、彼らからしきりに知ろうとしていました。彼らは、言います。それは、ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう記しています。ユダの地、ベツレヘムよ、なんじは、ユダの指導者たちのうちで、ごく小さい者ではない。お前の中から、イスラエルを牧する者が起こされると。
ベツレヘムは、ダビデの出身の村であり、その末から、イスラエルを牧する者が出て来るとミカ書と歴代誌の預言の言葉を結び合わせたものであります。
 さて、それから、ヘロデは、学者たちをひそかに呼んで、その方の星が、いつ現れたのかを詳しく、確かめ、ベツレヘムへと送り出して言うのであります。もしその子が見つかったらすぐに知らせてくれ、そうすれば、私もその子を拝みに行くから、と。
 学者たちは、それを、聞きながら、出て行きます。最初のエルサレムに来たに尋ねて語って以降、学者たちの言葉は何も記されていません。それが、かえって、この物語を、印象的にさせているのであります。
 彼らが出て行くと、見よ、エルサレムでは見えなくなっていた彼の星、主の星が、彼らを導いて、ベツレヘムのその子のいる場所の真上まで来て、止まったのであります。
彼らは、それを見て、甚だしく大きな喜びを喜んだと、原文では書かれています。異邦人の彼らが、マタイ福音書では、最初にメシアを見出したからであります。
そして、その家の中に入ると、幼子とその母マリアが共にいるのを見出します。ヨセフもいたでしょうが、中心人物は、その子とその母であります。
彼らは、跪いて、その子を拝み、宝箱から贈り物をささげます。黄金、乳香、没薬であります。これらは、アラビアや古代中東で産する最も高貴な贈り物でありました。
のちになると、教会教父たちと、ルターは、黄金は、主イエスが王であることを、乳香は、神であることを、没薬は、彼の受難と埋葬を表していると考えました。
このマギたちは、後代になると、王たちであったと考えられるようになりますが、しかし、彼らは、真の王であるメシアの前にひれ伏し贈り物をささげて、服従と忠誠を示したのであります。そして、彼らは、夢でヘロデのもとに戻らないようにとお告げを受けて、別の道を通って、彼らの国へと去って行ったのであります。
み子がまことの王であり、神であり、受難と埋葬が示されている世界の主であることを
彼らは知って、全く新しい、別の生き方を知らされて、その道を歩むようにされて彼らは帰って行ったのであります。私たちも、本日のマギたちと同じように、本日の記事を受けとめ、古い自分をぬぐいさり、主イエスに従う新しい一年を過ごしていきたいと思います。

 私たちの内に働く御力によって、私たちが求めたり、思ったりすることすべてを超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって栄光が世々限りなくありますように。アーメン。





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2010/01/03(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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