津田沼教会 牧師のメッセージ
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「私が与える安らぎ」(マタイ11:25~35)
マタイ11:25-30、2005・07・24、聖霊降臨後第10主日(緑)
イザヤ書40:26-31、ローマの信徒への手紙7:15-25

マタイによる福音書11:25~30

 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任されています。父のほかに子を知る者はなく、子と子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

説教「私が与える安らぎ」(マタイ11:25~30)
 聖霊降臨後第10主日を迎えました。本日の箇所は、マタイ福音書11章25節から30節であります。これは実に不思議な、主のお言葉であります。弟子たちが周りの町々へと宣教に出かけ、主イエスもまた、ガリラヤのカファルナウムや、ベッサイダやコラジンをまわり、奇跡やすばらしい働きをなさったにもかかわらず、人々は主イエスを信じなかったのであります。しかし、それに対して、主イエスは、その裁きを語った直後に、感謝の祈りである本日の言葉をいわれるのであります。
 「天地の主、父よ、あなたをほめたたえます。あなたはそれらのことを、知恵あるものや賢いものに隠して、幼子のようなものに、顕しになりました」と、主イエスは感謝の祈りでもって本日のお言葉を語られるのであります。
 確かに、この世の知恵ある者や理解力があるとこの世的に誇っている者たちは、容易には、主イエスのもとに来ないのであります。むしろ、反対に幼子のように、純真な素朴な心の者たちが、主イエスの教えを、そしてまた彼と共に既に神の国が来ていることを信じるのであります。
 主はさらにいわれます。「父以外には子を知るものはなく、また子と、子が啓示されるのを願うもの以外には、父を知る者はない」と。本日のこれを語っておられる主は、旧約聖書に出てくるモーセとして、いや、モーセをはるかに上回る方として、新しいモーセとしてお出でになっておられることを自ら、示しておられるのであります。
 「すべて、疲れている者や重荷を負っている者はわたしのもとに来なさい」と主はいわれます。私たちが、真に魂に安らぎを持ち、休みを与えてくださるのは、主イエス以外にはおられないのであります。
 「わたしのくびきは負いやすく、その荷は軽い」と主はいわれます。そのくびきとは当時の律法を守れないでいる人々にとっては、律法のことであったでありましょう。あるいは、今の私たちにとっては、それは罪の重荷であるかもしれません。しかし、それを感じている者、私たち自身のために、主がそれを代わって負ってくださり、主は他の誰もが与えることのできない安らぎ、休みを与えてくださるのであります。
 私たちはそれぞれの重荷をこのお方にあずけ、旧約において既に約束されていたメシアであるお方、主イエスに新しくここから付き従っていきたいものであります。

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2005/07/24(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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