津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神に自己をあけ渡す」(マルコ12:41~44)
マルコ12:41-44、2009・11・15、聖霊降臨後第24主日(典礼色―緑―)
列王記上17:8-16、ヘブライ人への手紙

マルコによる福音書12:41~44
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。


「神に自己をあけ渡す」(マルコ12:41~44)
いよいよ、教会暦の一年も終わりに近づきまして、本日と来週をもって、マルコ福音書と共に歩んだ1年間は終わりとなります。本日の福音は、マルコ12:41-44であります。
主イエスが、エルサレムにおいて十字架におつきになる前のエピソードとして、2レプトンをささげた1人の貧しいやもめの出来事が与えられています。
これは、主がご自分のすべてを父である神にあけ渡すことをも示す象徴的な出来事であります。マルコでは、すぐ本日の日課の前の部分でやもめを食いつぶす律法学者たちを主は批判なさっており、本日の記事のすぐ後では、当時建っていた見事なエルサレム神殿の崩壊が主によって預言されています。
さて、主は、腰かけて後、人々が献金するのを見つめておられました。金持ちたちが沢山なお金をささげていました。そして、そこに、一人のやもめがやって来た後、2レプトン、今でいえば200円くらいにあたるでしょうか、ローマ貨幣1クァドランス、すなわち当時の労働者の1日の賃金1デナリオンの64分の1にあたる最小の銅貨をふたつ、賽銭箱、あるいは寄付金箱・献金箱に入れたのであります。
そのとき、主は、弟子たちを呼び寄せて言われます。「はっきり言っておくが、このやもめは、寄付金箱に入れたすべての他の人よりも多くささげたのである。なぜならば、彼らは有り余る中から入れたが、あのやもめは、自分の持っているすべてのものを、彼女の生活費の全部を入れたからである」と言われたのであります。
この出来事は歴史的事実ではなかったという学者たちがいます。そんなに遠くから、2レプトンを、しかも全生活費を、これは、ビオスという言葉で命全部をとも訳せますが、そんな事情が一瞬にしてわかるわけはないからだというのであります。
しかし、主は、超自然的な、超人的な洞察する能力をも持ち合わせておいでの方であります。そして、マルコは、その事実性よりも、内容に関心を持っているのであります。
彼女は、神の慈しみとご配慮に、全信頼を寄せ、自己をあけ渡したのであります。私たちは、このやもめのような、全部を神にあけ渡す信仰になかなか入っていけません。そして、これは、主ご自身がすぐこの後、十字架にお向かいになる、そういうご自身を知りつつ、「このやもめは、私自身でもある」と弟子たちに暗示されていたのであります。
主は、御自分を送られた父なる神のご意志に完全に従順であられました。父なる神がみ子を十字架におかけになるのに、心から従われ、神のご慈悲とご配慮に、身をゆだねて、十字架に向かわれるのであります。
私たちは、多くのことを思い煩い、完全に父の助けとご配慮に、身をゆだねることが難しゅうございます。しかし、このやもめのように、また、第一の日課で本日読まれましたサレプタのやもめのように、日ごとの糧とお守りを求め願いながら、信仰生活を日々新たに守りたいものであります。
自分の課題を正直にさらけだして、神さまに弱い自分をすっかり、降参して、あけ渡す新しい人生へと向かいたいものであります。アーメン。

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。
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2009/11/15(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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