津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神への愛は行動をもたらす」(マルコ12:28~34)
マルコ12:28-34、2009・11・8、聖霊降臨後第23主日(典礼色―緑―)
申命記6:1-9、ヘブライ人への手紙7:24-28

マルコによる福音書12:28~34
 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。




「神への愛は行動をもたらす」(マルコ12:28~34)

聖霊降臨後第23主日を迎えました。主たる福音書として、マルコによる福音書をこの教会暦の一年間を読んで来ましたが、あと本日を含めて3回で、マルコ福音書も終わりとなります。
本日の与えられました福音はマルコ12:28-34であります。これは、あるいは、ガリラヤでの宣教のときの出来事を、主の宣教のエルサレムにおける出来事として記してあるのかもしれません。一人の律法学者が、やって来て、イエスが復活についての論争をしておられるのを聞いて、そして、見事にサドカイ派の人々に答えられたのを見てそれを対して、質問するのであります。「聖書、すなわち、旧約聖書の教えの中で、どんな種類のものがすべてのもののうちで、最初のもの・第一の掟、命令なのですか」と聞いたのであります。それに対して、主は言われます。「それはこうである。『聞け、イスラエルよ、私たちの主なる神は一つである、ひとりである。あなたは、あなたの主なる神を、あなたの心の全体から、あなたの魂の全体から、あなたの理解力の全体から、あなたの力の全体から愛するであろう、愛しなさい』。第二はこうである。『あなたのその隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらの二つより大きな掟・命令はない」と。それに対して、この律法学者は答えるのであります。「先生、あなたは見事に、真実の上に言われました、すなわち、彼、神はひとつ、ひとりである。彼以外のものはいないと。そして、彼を、心全体から、理解力全体からあなたの力全体から愛することと、隣人を自分自身のように愛することは、すべての焼き尽くすささげものや、犠牲よりもまさっています」と。そして、かのイエスは、彼が思慮深く答えたのを見て彼に答えられていわれるのであります。あなたは、神の国から遠くないと。そしてもはやだれも、彼に質問しようとはしないでいた、と本日の記事は終わっているのであります。
 福音書では、こことそのマタイ、ルカの並行個所のでのみ「神を愛する」という言葉が出て来るのであります。パウロ書簡にも5か所しか、神を愛するとか、主イエスを愛するという言葉は出てきません。
聖書は、基本的にまず神の方から私たちを愛してくださるのであります。いわゆるアガペーの愛で、神ご自身が身を低くして、地上に降りて来られ、キリストの形を取られて、私たちを愛して下さるのであります。そして、それに対する応答としてのみ、私たちは、心、魂、理解力、力のすべてを用いて神を愛するということが出て来るのであります。
主イエスとほぼ同時代のヒレルというユダヤ教の学者・ラビは、「聖書、律法の教えとは要約すれば何ですか」とある改宗者に聞かれて、「自分が憎むことを、他人にしないこと」であると答えました。そして、残りの旧約聖書の教えのすべてはその掟の注釈に過ぎないと答えたのであります。
さて、私たちは、神に愛されて、そこから、全人格的な応答として神を愛し、隣人を自分自身を愛するように愛することが初めてできるのであります。
この律法学者は、思慮深く答えたので、主によって「あなたは、神のご支配、主権から遠くない、主の主権に与る用意が出来ている」と言われました。神を全人格で愛することから、隣人を自分のように愛する無私の愛が出て来るのであります。ルターが信仰と行為について、よいりんごの木からよい実がもたらされると言ったのと似ています。
私たちも、主イエスの言葉に従って歩み、「あなたは、神の国から遠くない」と呼ばれる者になりたいと思います。まず、神の愛があって、私たちはそれに応答し、神を全人格を傾けて愛する者となり、そして、第二の掟として、自分自身のように隣人を愛する者としての働きに邁進していきたいものであります。アーメン。





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2009/11/08(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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