津田沼教会 牧師のメッセージ
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「今、この世でも百倍の報いを」(マルコ10:17~31)
マルコ10:17-31、2009・10・18、聖霊降臨後第20主日(典礼色―緑―)
アモス書5:6-15、ヘブライ人への手紙3:1-6

マルコによる福音書10:17~31
 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を、見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」



説教「今この世でも百倍の報いを」(マルコ10:17~31)

私たちは、このところ、第2回の主のなさった受難予告のあと、エルサレムに向かう主と弟子たちの旅の途中での出来事と、主のお言葉を、マルコの記事を続けて聞いています。 
そして本日は、マルコの記事は、10:17-31であります。エルサレムを目指しながら、主が再び旅立とうとしておられる時に、一人の者が、駆けつけて来て、ひれ伏し、質問するのです。
「善い先生、永遠の命を所有するために、私は、何をすればいいのでしょうか」と。主はお答えになります。「なぜ、私を善い者と言うのか、神おひとりのほかには、善い者はだれもいない」と。主は、罪のない唯一の人でありましたが、ここでは、ご自身を謙遜に考えられて、父なる神だけを善いお方だと言われるのであります。決して罪を犯されなかった唯一の人でありましたが、私を善い者と呼ぶなと諭されるのであります。罪は犯されなかったが、私たちと同じ人間となってお出でになって下さった方なのであります。
そして、お答えになられます。「あなたは、その教え、永遠の命、神の国、神の支配にいたる道を、既に知っている。すなわち、それは、モーセの十戒の第2の板に書かれてある掟である。殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪うな、すなわち、自分の預かっているものをむさぼるな、父母を敬えという戒めである」と答えられたのであります。
私たちは、自分の努力や成功や功績、何か特別の行いによって救われようとしがちであります。それに対して、ルターは、良き行いとは、十戒ですべて尽くされていると言うのであります。すると、その一人の者は、「私は、幼い時から、それらをちゃんと守ってきました」と答えます。主は、その者を見つめて、愛され、慈しまれました。そして、答えて言われるのであります。
「あなたに欠けていることが一つある。あなたの持っている多くの財産をみな売り払って、貧しい人に与え、それから、戻って来て私に従いなさい」と。その人は、暗い表情になって、悲しみながら、立ち去ったというのであります。
この「一人」の者とは、決して例外的なこの大金持ちを指しているのではなく、私たちすべての者を意味しています。その人にとっては確かに、多くの財産が、主イエスのもとに来れない原因・束縛でありました。それでは、私たちにとって、それは何でありましょうか。それは、さまざまで、ある人にとっては、地位や名誉であったり、また別の人にとっては、欲望をむさぼることであったりするでしょう。
今日の主日の祈りにありますように、この世界は、危険と誘惑に満ちています。私たちはその中で、クリスチャンとして勇敢に挑戦しなければならないのであります。主は、「子たちよ、神の国にはいることは何と困難であることか」と言われます。弟子たちがそれではだれが救われるでしょうと驚いていると、さらに言われます。「金持ちが、神の国にはいるよりは、らくだが針の目をくぐる方が容易い。」ペトロが答えます。主よ、私たちはすべてを捨てて、あなたに従いましたと。主は言われます。「私はよくあなた方に言っておくが、だれであれ、私のために、また、福音、主がもたらされる良き知らせのために、自分の畑や父母や、兄弟姉妹たちや家を捨てた者は、今、この世でも、畑どもや、母、兄弟姉妹たちや家どもを百倍も受けない者は一人もないであろう」と。「そして、来たるべき世においては、永遠の命を受けるであろう」と。そして、最後に「多くの先の者たちが後の者たちとなり、後の者たちが先の者たちとなるであろう」と言われるのであります。
私たちは、自分の力や行いや人間的偉大さで神の支配に与るのではなく、神の一方的な自己投与、恵み、神の贈り物によって、永遠の命に与り、来たるべき世界では、先の者が後になり、後の者が先になるという逆転が起こるのであります。私たちは、この世界においては、多くの迫害、苦しみ、苦難にも直面しますが、自分が放棄したものの百倍のそれらを、神の慈悲と憐れみによって受けると主は約束なさっておられるのであります。
今日の日本においても伝道は非常に困難でありますが、本日の主の言葉に信頼して、希望を失うことなく、永遠の命を所有するために、障害となる金銭欲や人間的絆、事業や努力に信頼するのではなく、神の恵みに、神からの贈り物に身をまかせて歩んでまいりましょう。祈ります。
天の父なる神さま。あなたは、み子を通して永遠の命を、また、今この世でも、捨てたものの百倍を受けると約束なさいました。私たちは、なかなかあなたを信頼しえず、倒れたり、傷ついたりしますが、どうか、そのような時にこそ謙虚に、あなたに叫び求める者とならせてください。キリストによって祈ります。アーメン。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。
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2009/10/18(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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