津田沼教会 牧師のメッセージ
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「エファッタ!(開かれよ)」(マルコ7:31~37)
マルコ7:31-37、2009・09・13、聖霊降臨後第15主日(典礼色―緑―)
イザヤ書35:4-10、ヤコブの手紙1:19-27

マルコによる福音書7:31~37
 それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべてすばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」




説教「エッファタ!(開かれよ)」マルコ7:31~37

先週は、ティロスの辺りで、家に隠れておられた主イエスのもとに、ギリシャ人の女の人が、悪霊に取り付かれていた幼い娘のために、主イエスが来ているとのうわさを耳にして、やって来て食い下がり、主の足元にひれ伏し、子犬も子供たちの食卓から落ちるパン屑は食べるのですと主イエスに服従し、従順に忍耐したとき、「その言葉のゆえに」、感嘆し主がその女の願いをかなえた出来事でした。
 本日はそれに続く記事であり、出来事であります。その旅程は信じられないほどの遠回りをしており、あるいは、マルコは、パレスチナの辺りの地理がほとんど分かっていなかったのかもしれません。というのは、主は、ティルスからシドンを横切り、たぶん、海岸線を30キロほども、北上し、それから、大きく回って、デカポリスの真ん中を上がって、ガリラヤの海へとやって来たと記されているからであります。いろいろな説や解釈がなされてきましたが、どれが正しいかということは確定できないようであります。
とにかく、異邦人の多く住むガリラヤ湖の東側を進んで、さらにはデカポリスの真ん中を上がって、ガリラヤ湖にやって来たと記されているのであります。その旅行があったとすれば、それは、主イエスが御自分の使命を確認するための旅行であったでありましょう。
 さて、ガリラヤ湖へとやって来られた主のもとに、人々が、今度は耳が聞こえず、舌が回らない一人の男を連れて来て、彼に手を置いてやってほしいと願うのであります。
 主は、彼の両耳に指を差し入れ、また、つばきをし、それを、その男の舌につけ、ふれるのであります。そして、天を仰ぎ、祈りつつ、溜息を深くついて「エファタ」、すなわち、開かれよと言われたのであります。するとただちに、彼の耳は開かれ、また、舌の縛り、おそらく悪霊に縛られていた舌が解かれ、明瞭にしゃべりはじめたというのであります。
 そして、人々は、測りを超えて、この上もなく、驚いていた。そして、こう言っていたというのであります。「見事に、この方はすべてのことをなさった。耳の聞こえない者たちを聞こえるようになさり、また、口が利けなかった者たちをしゃべれるようになさるのだ」と人々は語っていたのであります。
 主は、人々の中から、この人を連れ出して、二人だけのところで、治療なさり、人々には、このことを誰にも言ってはならないと命じたのでありますが、そう命じれば命じるほど、人々はなおいっそう告げ広めていたと記されています。奇跡のことを口外してはならないと主はここでも言われています。それは、なぜでしょうか。
 主は確かに奇跡をおこなう人でありましたが、これみよがしに奇跡をなさったのではありません。主のお出でになられた本当の目的、使命は、彼が私たちの罪のために、十字架にかかることであったからであります。主は、おそらくここでも、異邦人たちの多い中で、この奇跡をなさったことでありましょう。ティロスでも同じでありました。
そこでのギリシャ人の女の人も、本日のはっきりとしゃべれるようになり、耳で聞くことができるようになった男の人も、その後、主イエスを信じ、あるいは、そして、主に従ったとは書かれていません。主の憐れみ、慈しみは、たとえ、主を救い主と信じない者たちに対しても惜しみなく注がれるのであります。
 そして、本日の奇跡の出来事は、本日の第一朗読のイザヤ書35章に記されていた預言が、主イエスのご到来において、実現していることを示すものであります。耳の聞こえなかった者が、聞こえる者とされ、口が利けなかった者が、しゃべれるようになる。砂漠の地に水がわき、すべての人が主なる神に栄光を帰するようになるとの預言が、主イエスの現在において成就されているのであります。
 先週のギリシャ人の母も、本日の耳が聞こえず、舌が回らなかった男も、私たち主を救い主と信じる者、私たち自身をも表現していると考えてもよいでありましょう。私たちのみ言葉に対する鈍い心と聞く力を、主が慈しみによって、切り開いて下さるのであります。
 主は、深いため息を持って、私たちの罪を嘆かれ、うめきをもって、天の父に祈られ、今も「エッファタ」、「お前は開かれよ」といって悪霊の縛りから解放してくださっているのであります。私たちは、聖書、み言葉に信頼し、主イエスの広く、深い慈しみに、身をゆだね、今週も共どもに新しい1週間を切り開いていきたいものであります。
祈ります。
 天の父なる神さま。過ぎました1週間、怠りや、数々の失敗や、愚かさにもかかわらず、本日、主の日を迎えることができました幸いを感謝いたします。どうか、み子、主のみ言葉の真意を悟ることが出来るように、私たちの鈍い心や耳を打ち開いてください。そして、日々、はっきりとあなたを口でほめたたえ、賛美する者とならせてください。新聞やテレビ、ラジオなどを、み言葉に照らして、読み、あるいは、見聞きする者とならせてください。あなたの慈しみはすべての人に注がれています。そして、主イエスの十字架はすべての人の救いのためであることを悟らせ、それを周囲の人々に伝える器とならせてください。キリストによって祈ります。アーメン。

私たちの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

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2009/09/13(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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