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津田沼教会 牧師のメッセージ
「神の命令か、人の伝統か」(マルコ7:1~15)
マルコ7:1-15、2009・08・30、聖霊降臨後第13主日(典礼色―緑―)
申命記4:1-8、エフェソの信徒への手紙6:10-20

マルコ7:1~15
ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
『この民は口先ではわたしを敬うが、
 その心はわたしから遠く離れている。
 人間の戒めを教えとしておしえ、
 むなしくわたしをあがめている。』
あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」
それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」


説教「神の命令か、人の伝統か」(マルコ7:1~15)
 
本日は、聖霊降臨後第13主日を迎えました。私たちは、この時期、マルコによる福音書を通して、主のお言葉となさったみ業について、福音の記事を与えられています。
 本日は、エルサレムから、何人かの律法学者とファリサイ派の者たちが、やって来て、主イエスに質問する論争物語の出来事であります。
 あなたの弟子たちは、どうして、食事の前に、手を洗わないのですかと主イエスに言うのであります。彼らは、市場から戻って来た時にも、異邦人との接触を通じて、身を汚したとも考えられるので、身をきよめることをしていました。その他にも、鉢や、寝台や、杯などを、水で清めたりする多くの祭儀的な習わしに従っていたのであります。
 主イエスは、答えられます。あなた方は、見事に、預言者イザヤが言っている通りの生き方をしている。すなわち、唇では私をあがめているが、空しく私を敬っているにすぎないと預言したとおりである。それどころか、あなた方は、父と母を敬えとあり、父母をののしる者は死刑に処すべきであるとあるのに、父母に向かってある人が、あなたにささげるべきものは、コルバン、すなわち、神への捧げものですといえば、父母に責任を負わなくてよいなどと言っていると答えられ、群衆を招いて、彼らに言われるのであります。
 すなわち、人の中から、汚れたものは出て来る。内側から清めなければ、人間は清くなることが出来ないと言われるのであります。
 私たちは、昔の人の言い伝え、すなわち、人間が作り出した伝統だけでは、真にきよめられることはできないのであります。神の命令、主イエスのお言葉によらねば、私たちは真に清められることはないのであります。
 本日の第一の朗読の申命記も、神の戒めを守るときに、私たちは真の命を見出すと言われています。
 私たちは、日常生活、社会生活の中で、多くのことに、心を煩わせていますが、神のみ言葉によってしか、欠く事の出来ないものを選び取ることはできないのであります。
 内側から清められ、その上で、昔の人の言い伝え、あるいは、伝統を吟味していくことが大切であります。世の中に、すばらしい知恵や、人類の英知と言われるべきものは、多くありますが、聖書の言葉、教えによって、生き方を選び取らなければ、本日のエルサレムから来た律法学者たちのように、形骸化し、内容のないものに陥ることがしばしばであります。
 私たちの内側から、清められる、そのようなものとして、主イエスの言葉があり、旧約聖書の教えもあるのであります。
 私は、先週、宣教ビジョンセンターで特に日本文学者の記念館を訪ねる研修旅行に、総勢7名の牧師で行って来ました。その中で、花巻の宮沢賢治記念館を観て来ました。あの有名な「雨にも負けず、風にも負けず・・・」の詩のモデルは、無教会派のキリスト者、斎藤惣次郎という人であることも初めてしりました。宮沢賢治は浄土真宗の家に生まれましたが、法華経を読み、感動し、日蓮宗を信じたのであります。彼は、その熱心な信徒として、両親を改宗させたり、知人、友人に日蓮宗を広めるために健闘したのでした。
 私たちは、神とみ子イエスに招かれて、この小さな教会の群れの一員とされているものです。エルサレムから来た律法学者やファリサイ派のように、神の命令を空しくすることなく、また、昔の人の言い伝え、伝統によって、がんじがらめにされるのではなく、主イエスの教えによって自由に、大胆に生き、この救いを人々に告げ広める群れとされていきたいものであります。アーメン。




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2009/08/30(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)