津田沼教会 牧師のメッセージ
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「永遠の命を得る」(ヨハネ3:13~21)
ヨハネ3:13-21、2009・03・22、四旬節第4主日(典礼色―紫―)
民数記21:4-9、エフェソの信徒への手紙2:4-10

ヨハネによる福音書3:13-21
 「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって夜が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」





説教「永遠の命を得るため」(ヨハネ3:13~21)

本日の福音はヨハネ3:13から21まででありますが、3:13は、もとの文を見ますと、「そして」、天から降って来た人以外には、天へと上った者はいないと始まっています。ニコデモと主イエスとの対話の1節として続いていますが、いつの間にか、話し手が主イエスから、この福音書記者ヨハネ自身の言葉のように変わって行きます。
天から地への降下があり、それなら、地から天への上昇もある。ニコデモに、地上の事柄を話しても分からないなら、天の事柄を語っても、どうして理解できようかと主はこれまでのところで言っていました。そして、人の子は、モーセが青銅の蛇を作って、それを見上げた者が、たとえ、炎の蛇にかまれても救われたという故事を挙げています。本日の第一の朗読にあげられている出来事です。
モーセに対してつぶやき、神に対して不平を言ったイスラエルの民が、炎の蛇にかまれて死んでいったときに、モーセに願って、モーセが神に執り成し、与えられたのが青銅の蛇でした。
これは、将来の主イエスが、人の子、メシアとして、どうしても、十字架上にあげられねばならないことを前もって表した出来事であり、人々が、神の言葉に信頼して、さおの上にモーセが作った青銅の蛇を見上げるときに、たとえ、蛇にかまれても、命は助かったという出来事でありました。
主イエスは、ちょうどそのように、人の子も上げられることになっていると、十字架の出来事が、父なる神の固い決意であることをお示しになっています。そしてそれは信じる者が皆、彼において永遠の命を持つためであると言われています。あるいは、ヨハネがそのように代弁しています。
そして、有名な3:16の言葉が続くのであります。なぜならば、神は、この世界をそのように愛しなさったからであり、すなわち、その独り子なる息子を与えるほどに、愛しなさったからであり、それは、彼へと信じるすべての者が滅びず、永遠の命を持つためであると言われています。ヨハネ福音書の中の最たる福音と言われている言葉であります。それどころか、全聖書の中の聖書とも言われるみ言葉であります。
彼へと信じゆだねる者は、一人としてその救いから漏れることはないのであります。
なぜなら、神がその独り子をこの世界へと送ったのは、この世界を裁くためではなく、彼を通してこの世界が救われるためであるからであると言われます。しかし、彼へと信じる者は裁かれない、しかし、信じない者は既に裁かれている、なぜならば、神のその独り子の名へと信じ委ねていないからであるとも言われています。
そしてその裁きとは、光が、この世界へとやってきたのに、人間どもは、光よりも闇を愛したからであるとあります。そして、なぜなら、彼らの行いは邪悪だからであると言われます。すべて邪悪な行いをする者たちは、光を憎み、光の方に来ない、なぜなら、その行いどもが、明るみに出されるからであると言われます。
しかし、真実を行う者は、光に向かって来る、そしてその結果、彼の行いどもが、神において、なされたことが、見えるようにされるのであると言われています。
私たちは、光なる、命なる、真理なる主イエス、人の子が神の独り子であったのに、すべての人を救うために、十字架に挙げられ、その命を神が私たちにお与えになったことを知るべき四旬節を歩んでいます。
光を愛するか、闇を愛するか、私たちの生れながらの性向は、闇を愛するものであったのではないでしょうか。しかし、十字架におかかりになられ、復活とご昇天によって、天にあげられた主イエスのゆえに、真理と永遠の命と光を愛し、求める者とされているのです。主は、人の子を信じるか信じないかの決断を、遠い先のことではなく、今、現実の人生の中においてこの瞬間瞬間に求めておられます。私たちは、人の子を救い主と信じる生活を今週もここから、始めていきたいものであります。
人知ではとうてい測り知ることのできない神よりの平安が、あなた方の心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン。
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2009/03/22(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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