津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「神殿を建て直すイエス」(ヨハネ2:13~22)
ヨハネ2:13-22、2009・03・15、四旬節第3主日(典礼色―紫―)
出エジプト記20:1-17、ローマの信徒への手紙10:14-21

ヨハネによる福音書2:13~22
 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。



説教「神殿を建て直すイエス」(ヨハネ2:13~22)

本日は四旬節第3主日となりました。今日から、しばらく、ヨハネ福音書から福音の記事が選ばれています。今日は、先ほどお読みしましたように、ヨハネ2:13-22の主イエスによる宮清めの記事が与えられています。
なぜ、ここが、四旬節の福音個所として選ばれているのでしょうか。しばらく、ご一緒に、本日の福音について考えてみたいと思います。
 他の共観福音書では、福音記事の終りの方で、エルサレム入場と共に、主による宮清めがでてきますが、ヨハネ福音書では宣教の始まったばかりの2章の部分で、その出来事が記されています。それは、なぜでしょうか。主イエスは宣教の始めと終わりに、宮清めをなさったのでしょうか。ヨハネ福音書は、4つの福音書の中では、最後に書かれた福音書でありますが、主は過越祭に少なくとも3度、エルサレムに詣でています。ですから、ヨハネ福音書のお蔭で、私たちは主イエスの公の活動が3年程であったということが分かるのであります。
 ですけれども、神殿を清めるという出来事は、ヨハネ福音書記者にとって非常に大事な出来事であった。そしてまた、礼拝ということは、主にとって何よりも大切であったので、他の福音書記者とは違って、宮清めを最初の書き出しに近い部分にヨハネ記者は、置いたのではないでしょうか。
 私たち津田沼教会では、週日の間にも、「聖書を読み、祈る会」や「英語で聖書を読む会」などを設けて、聖書の学びをしていますが、1週間の信仰生活で中心となるのは、いうまでもなく、主日礼拝であります。福音書記者ヨハネにとっても、礼拝ということが一番大切であった。そこで、歴史的事実はともかくとして、最初の部分に、ヨハネは、宮清めの出来事を位置づけていると考えられるのであります。
 さて、主は、過越祭が近づいたので、エルサレムへと上って来られます。もちろん、弟子たちも一緒でした。そして、神殿の境内に入られると、そこで、牛や羊や鳩を売っている者や、両替人を見出します。すると、主は、ひもぎれか、縄のようなもので鞭を作られ、牛や羊を皆追い出し、両替人の小銭をまきちらし、机をひっくり返し、そして、鳩を売っている者たちにいいます。それらのものを、ここから、持ち去れ。私の父の家を、商売あるいは、市場の家にするな、と。そのとき、弟子たちは、聖書の言葉、詩編にあります「あなたへの熱意が私を食い尽くすであろう」とあったのを思い出していたのであります。
 ユダヤ人たちは、あなたはそんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのかと問い詰めます。すると主は、この神殿を壊してみよ、私はそれを三日間で建て直してみせるといわれました。
 ユダヤ人たちは、この神殿は46年もかかって建てられてきたのに、あなたは、それを三日で建て直すのかといいます。実は、この時、主は、ご自分のからだのことについて語っておられたのであります。当時のエルサレム神殿は、ヘロデ王の時から、46年ほどかかって建てられ、修復されていたものであり、それは、ローマ軍によって包囲され崩される紀元後70年までさらに、修復され続けたのであります。
 弟子たちは、主イエスのご復活の後、主がこのとき、言われていたお言葉を思い出し、聖書と主が語られたその言葉を信じたというのであります。主イエスは、私たちが、エルサレムの神殿でもなく、サマリアのゲリジム山においてでもなく、霊と真とをもって、主イエスを礼拝するようになることを、この時、預言されていたのであります。
主は、しるしを求めるユダヤ人たちに対して、ヨナが三日間魚のなかにいたというしるししか、あなた方には与えられないだろうと、別の個所でいわれています。
 主イエスは、この神殿を三日のうちに建て直すと約束なさいました。そしてそれは、背景に、エルサレム神殿をひかえ、ご自分の方に向けて、ご自分の体にあわせて、そう言われたのかもしれません。
 私たちは、現在、世界中で、この方が、十字架につけられ、三日後に復活した命の主であることを、教会を通して、信じ、礼拝しています。
 私たちは、罪深く、毎週のように、否、毎日、心と行いと言葉によって罪を犯す弱い存在であります。しかし、主が、私たちのために、十字架についてくださり、しかも三日後に復活なさって、弟子たちのもとに現われ、そして、四十日間、彼らと交わられた後、天に昇り、今は天の父の右の座について、そこから聖霊をおくってくださっています。主は今も、聖霊を通して働かれているのであります。私たちが、毎週、この主の体である教会に集まるのは、自分の決心や決断で来るのではなく、聖霊の働きによっているのであります。
実際、なかなか、変わらない私たちの欠点や弱さ、怠りや脆さを抱えながらも、罪の赦しをすでに与えて下さっている神のみ前に赦されて、集まるのであります。
 そう言う意味で、本日の主イエスのなさった出来事、語られたお言葉は、主の十字架への道行をおぼえるのに、ふさわしい記事なのであります。私たちは、何事にも決して、絶望しないで、死にすら、絶望しないで新たな希望をもって、罪を懺悔しながら、新しい1週間へと押し出されていきましょう。祈ります。
 天の父なる神さま。
私たちは、多くの弱さや欠点、また、それぞれが人にも言い難い課題を抱えています。しかし、あなたは、そのような私たちのもとに来て下さり、み子を十字架の死の後、三日間墓の中におさめさせたのち、復活させられました。私たちは、み子の復活により、新しい命、永遠の命を与えられて、どのような困難をも乗り越えて行く希望と力を与えられています。今もなお、この主を知らずに生きている多くの同胞に、欠けのある土の器にすぎない、私たちを用いて、あなたは、父とご自身をすべての人に宣べ伝えさせるといわれます。
 どうか、この四旬節のとき、私たちの罪をより深く認識し、主のみ苦しみをおぼえ、私たちのために苦しまれた十字架への道をおぼえて、より慎ましい生き方、柔和な、平安の道をあゆませてください。キリストの名によって祈ります。アーメン。

スポンサーサイト
2009/03/15(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。