津田沼教会 牧師のメッセージ
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説教「四十日間の誘惑」(マルコ1:12~13)
マルコ1:12-13、2009・03・01、四旬節第1主日(典礼色―紫―)
創世記9:8-17、ペトロの手紙一3:18-22

マルコによる福音書1:12~13
 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。




説教「四十日間の誘惑」(マルコ1:12~13)

 いよいよ、本日は四旬節第1主日であります。先週の2月25日の灰の水曜日礼拝から、主日をのぞく40日間が四旬節であります。そして、今年は4月12日が復活祭に当たります。これから、この6週間ほどの間を、主の十字架への道行を覚えながら、また、洗礼を受けている方々は自分たちの受けた洗礼を思い起こしながら、過ごしたいと思います。
 ルーテル教会で四旬節第1主日に毎年与えられるのは、主イエスが受けた40日間の試み、誘惑の記事であります。そして、今年はB年ですから、マルコ1:12-13が与えられています。もとの文を見ますと、「そして、すぐに、霊は、彼を荒れ野へと追いやる」という言葉で本日の記事は始まっています。霊とは、主の洗礼の時に下って来た霊、聖霊のことであります。
「そして、彼は、荒れ野で40日間、サタンによって誘惑されていた」と続いています。誘惑とは、罪へ陥らせようとする試みであり、さらには、もう少し広く試練に遭われていたとも考えられますが、私たちが人生という荒れ野の中で会う誘惑、疑いや、危機などを主イエスは本日の出来事において、私たちと同じように受けておられるのであります。本日の主日の祈りにもありますように、私たちがみ言葉から離れるように、悪の力は内外に強く働いています。あるときは、人を通して、あの人はなぜあんなことを私に向かって言うのだろうか、というような疑惑と恨みに陥ってしまうこともあります。
しかし、主イエスの遭われた40日間の誘惑によって、神の子としての主イエスは、私たちの出会うあらゆる種類の誘惑にここで既に耐え、打ち克っておられるのであります。サタンとは、古くは天の法廷において人間を告発する検事のような存在としてヨブ記の1、2章では考えられています。しかし、主イエスの時代には、いろいろな名前を持った悪の力、悪霊の親玉のように考えられるようになっていました。そして、サタンは、神の力に対して逆らい、人間をみ言葉から、聖書から何とかして離れさせようとする存在と考えられていました。
私たちも、このサタンによって今も毎週のように、いや、毎日のように時々刻々、罪に陥らされるように試みられています。しかし、主イエスは、本日の出来事を通して、2000年程まえに、既にサタンの試みに勝利されているのです。私たちは、主の体験を通してサタンに打ち克つ道を既に与えられているのであります。
「荒れ野」とは、サタンや悪霊のすみかのように考えられていました。そして、そこには、凶暴な野獣たちが潜んでいるところだと思われていました。しかし、主は、その荒れ野にあって凶暴な野獣と平和のうちに共におり、天使たちが彼に仕えていたと記されています。天使たちが、主イエスに食事の給仕をしていたとも考えられます。私たちの人生の荒れ野においても、しばしば、疑いや、苦悶が、サタンによってもたらされます。出エジプトを遂げたイスラエルの民は40年間、試され、誘惑され、しばしば罪に陥りました。
しかし、主の場合には、40日間のサタンの試み、誘惑に既に打ち勝たれているのであります。私たちのぶちあたるどんな苦しみも疑いも、既に主によって経験されているのであります。私たちが出会う誘惑・試練で主が味わわれなかった、どんな誘惑、試練もないのであります。
聖書によれば、主は、一度も罪を犯されなかったが、あらゆる誘惑に耐えた方であります。私たちは、主に助けを求めながら、主が向かわれる十字架への道行を40日間、主に従って歩みたいものであります。
 人知ではとうてい測り知ることのできない平安が、キリスト・イエスにあってあなた方を守るように。アーメン。


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2009/03/04(水) 14:58:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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