津田沼教会 牧師のメッセージ
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「いやしと説教のみわざ」(マルコ1:29~39)
マルコ1:29-39、2009・02・01、顕現節第5主日(典礼色―緑―)
ヨブ記7:1-7、コリントの信徒への手紙一9:16-23

マルコによる福音書1:29~39
 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブもヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。


説教「いやしと説教のみわざ」(マルコ1:29~39)

私たちは、本日、顕現節第5主日のために、集まっています。先週は、主はカフェルナウムへとやって来て安息日に、会堂で教え、また、汚れた霊に取りつかれていた人を汚れた霊を追い払うという出来事がおこりました。
それに続く記事、マルコ1:29-39が本日与えられている記事であります。すなわち「そして、彼らはただちに、会堂から、シモンとアンデレの家へとやって来る、ヤコブもヨハネも一緒に、と始まるのであります。本日の出来事は、ペトロが目の当たりにした忘れることのできない出来事を、ペトロの視点から描いているのであります。ペトロは、この日の出来事を素晴らしかった日々のできない出来事として、マルコ福音書の記者におそらく口頭で伝えたのであります。私たちの先生、主イエスが私たちの家に会堂からすぐに来て下さったというのであります。
そして、彼らはシモンのしゅうとめが、熱を出して、伏していることを伝えます。すると、主は、彼女の部屋の中に入り、手を取って起こすと、彼女は起き上がり、熱は出て行った。そして、彼女は、主に、そして彼らに給仕して、仕えていたというのであります。主は、私たちの、ありふれた、罪に満ちた家の中に入ってくださり、私たちをいやし、また、その結果、私たちは、主に仕えることも許されている者であります。
安息日が終わり、日没になると、今でいえば土曜日の日没後に、人々はすべての病人や悪霊にとりつかれた者たちを彼のもとに連れてきていました。そして、マルコは特にここで、町全体が、その戸口に向かって集められつつあったとまで、記します。はなばなしい成功した主イエスのみ働きであるように思われます。ある人は、この日のような最初に主イエスのなさった出来事の日々を、ガリラヤの春と言いました。そして、主は、大勢の様々な病気を持つ病人たちや悪霊につかれた人々をいやしておられました。そして、悪霊どもにものをいうことをお許しになりませんでした。
彼らは、彼を知っていたからであると、マルコは記しています。主は何者であることを、悪霊たちは、知っていたのでありましょうか。マルコは、それを特別明らかにすることもなく、抑制して書いています。
さて、主イエスは、明朝、非常に朝早く、まだ暗いうちに起き上がられ、外に出ていかれ、人気のない場所に行かれて、祈っておられました。続いて、主がいなくなったことに気づいたシモンは、そしてその仲間たちは、すぐに彼の後を追います。マルコは非常に生き生きといかにも目撃しているかのように表現しています。彼は追跡し、主を見つけて、皆があなたを求めていますと言います。
すると、主は他の近くの町や村へと行こう、私はそこでも、宣教しよう、すなわち説教しよう。そのことのために、私は出て来たのだからと言われます。そして、主は、彼らの会堂へと、全ガリラヤへとやって来て、説教し、悪霊を追い払っていたと、マルコは本日の出来事を要約して記しています。
主は、カファルナウムでの成功に安住するつもりはありませんでした。主は、まだ、み言葉といやしのみわざが、なされていない至る所に、喜んで出て行かれるお方であります。そして、十字架の死に至るまで、主はそのみ働きをまっとうされるのであります。
そして、今も、私たちは、生きておられる方、主イエスのいやしとみ言葉へと毎週教会へ招かれているのであります。どなたにも、1週間のうちにも大きな危機や試練が与えられています。けれども、主は、すべてをご存じで、週ごとに、み言葉と聖礼典によって、私たちを養い、守ってくださいます。主よ、どうか、今日も私たちを憐れんで下さい。そして、み言葉によって強められ、新しい1週間に新たな希望を持ってここから赴かせてください。アーメン。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。

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2009/02/01(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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