津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「主イエスに召されて」(マルコ1:14~20)
マルコ1:14-20、2009・01・18、顕現節第3主日(典礼色―緑―)
エレミヤ書16:14-21、コリントの信徒への手紙一7:29-31

マルコによる福音書1:14~20
 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。




説教「主イエスに召されて」(マルコ。1:14~20)
 
本日から、通常の顕現節に戻り、教会暦で用いる布の色も緑となっています。そして、本日与えられている福音は、マルコ1:14-20であります。この部分は、1:14-15と、1:16-18と1:19-20に分けることもできるかと思います。
 イエスの宣教の開始と、最初の弟子たち4人の召命、呼び出しが記されています。最初の部分から見ていきましょう。
まず、それは、このように始まっています。かのヨハネが渡された後、イエスは、ガリラヤにやって来られて、神の福音を、すなわち、神からの良い知らせを宣べ伝えて、こうお語りになるのであります。「時は満たされた、神の国は近づいた、あなた方は、悔い改めて、福音を信ぜよ」と。洗礼者ヨハネが、神のご計画のもとに、ヘロデ・アンティパスの手に捕らえられ、しかし、これを境に、主イエスの宣教が開始されるのであります。
この「時」というのは、カイロスという言葉でして、神によって定められた絶好の機会が、この「時」に満たされ、実現しているというのであります。そして、神の国が近づいたというのは、未来のこととして神の国が迫って来たというのみでなく、神の国が、主イエスにおいて既に実現しているということであります。貧しい者は主イエスにおいて既に福音を知らされていると主は言われたことでもそのことが窺えます。
そして「悔い改める」というのは、メタノイア、文字どおりには、心を入れ替えるという意味でありますが、主イエスが言われている本当の意味は、神に立ち帰る、旧約聖書のスーブという意味であります。そして、福音とは「良い知らせ」であります。この最初に発された主イエスのお言葉に、これから始まるすべての主イエスの説教の要約が与えられているのであります。
 そして、引き続く1:16-20は、4人の兄弟が弟子とされるという出来事であります。1:16-18は、シモンとその兄弟アンデレが呼ばれるという出来事です。主は、ガリラヤの海・湖のことでありますが、それに沿って、歩いておられるとき、網を投げているシモンとその兄弟アンデレに目を留められたのであります。なぜならば、彼らは漁師だったからであるとあります。
本日の1:14-20の、各節は、最初の節を除いて、すべて、「そして」「そして」「そして」という接続詞でつながっています。主は、二人に向かって、声をかけます。「わたしについて来なさい。そうすれば、あなた方を、人間どもの漁師になるように私がしよう」と。本日の第1の朗読のエレミヤ書では、裁きとして、漁師がすべての魚を釣り上げるであろうとありましたが、ここで、主が言われている猟師とは、主イエスへと人々を信じる者へと招き寄せる働きへと召し出すと言われるのであります。そして、主イエスの弟子とされるという本日の出来事は、それは、何も牧師などに限られた召し出しではありません。私たち主イエスに呼ばれた、そしてそれに応じたすべての人が、周りの人を、そして世界中にわたって、主イエスこそ唯一の救い主だと主イエスへと招く使命を与えられて召されているのであります。そしてそのために、教会があるのであります。
一人ひとりが悟ってそれでよしとするのではなく、家族へ、友人へ、出会うすべての人々に、イエス・キリストを紹介する使命を与えられて、私たちは主イエスに召されたのであります。二人はすぐに、網を残して主に従います。
続いて、少し湖沿いを進むと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが船の中で網を修復しているのを目にされます。そして、主が呼ぶと、彼らもすぐに、ゼベダイとその雇い人たちを後に残して、彼の後について行ったのであります。私たちが、主イエスに出会い、洗礼を受け、あるいは、求道中の方も、本日の4人と同じ立場にあります。
私たちは、それゆえ、同じ信仰の兄弟姉妹が、教会から離れないように、心を砕くことが求められています。私たちは、主イエスによって、彼らが網の手入れをしていたように、兄弟姉妹が、心を一つにして、教会にずっとつながるように、責任を与えられているのであります。教会に行きたくても行けない事態も高齢化や病気などによって起こります。残念ながら、いろいろなことで、躓く兄弟姉妹もおられます。
しかし、私たちは、主イエスに一生従って、人々を絶えず、主イエスに結びつける、教会につなげる使命と特権を与えられているのであります。私たちは、主の一方的な呼びかけに応じて、主の弟子とされた尊い一人ひとりであります。その主イエスの声に従い、人々を教会へと招き入れるわざに励んでまいりましょう。アーメン。


スポンサーサイト
2009/01/18(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。