津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「主の星に導かれて」(マタイ2:1~12)
マタイ2:1-12、2009・01・04、顕現主日(典礼色―白―聖餐式あり)
イザヤ書60:1-6、エフェソの信徒への手紙3:1-12

マタイによる福音書2:1~12
 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
 お前はユダの指導者たちの中で
 決していちばん小さいものではない。
 お前から指導者が現れ、
 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現われた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。




説教「主の星に導かれて」(マタイ2:1~12)
 本日は顕現主日であります。顕現とは、神がみ子において顕わされるということであります。
ところで、皆様、新年、お正月をいかがお過ごしになられたことでしょうか。私も、新年礼拝の後、今は、四国の松山に住んでいる両親を訪ねて、帰省してきました。私たちは、この年の始めに、親しい家族や身内と顔を合し、話を親密にすることが多いのではないかと思いますが、皆様どうでしたでしょうか。私は、両親が教会から久しく離れているのを何とかしなければならないと思い、ルーテル松山教会に、母を連れて、森優牧師夫妻を訪ねたのでありました。ルーテル教会は、九州特に熊本市と東京に集中しているのですが、特に田舎で信仰を持ち続けるのは、非常に困難であります。
ある方が、先日も、燃えている薪は、それらが一緒に燃えている時には、燃え続けるが、一本になると、すぐ消えてしまうと教えられてそれ以降ずっと、教会に連なっていると、語られましたが、まさにそのとおりであります。私たちは、努めて、教会につながるように、身内や知人、友人ともどもに連絡を密にして、お互いに努力したいものであります。
 さて、本日のマタイ2:1-12は、「三人の博士たち」と称されてなじみ深い話、出来事であります。本日の個所をもう一度、思い起こしてみますと、ユダヤの王がヘロデのころ、東方からマギたちが到着したのであります。それがどこであったかは、よく分かりません。ペルシャであったのか、アラビアであったのか、今のイラクのあたりのバビロニア、カルデヤ人であったのか、さらには、エジプトやインドからも星を頼りにやって来たと伝説はいろいろとなされてきました。
彼らは、エルサレムに来てこう語るのであります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見て、拝みにやって来たのです。」占星術の学者たちと、新共同訳聖書は訳していますが、彼らが、王であったのか、魔術師のような者であったのか、祭司のような身分であったのか、よく分かりません。しかし、やはり東方から来た異邦人の賢人たちであったようであります。
さて、古代においては、洋の東西をを問わず、偉大な王や皇帝が生まれる時には、星が輝き出でたというような記録が数多く残されています。
しかし、マタイによっては、これは旧約聖書の民数記に出て来るバラムのなした預言の成就であると考えられているようです。
「ヤコブから星が輝き出る、あるいは、ヤコブから尺が生え出る」とバラムが託宣を受け、預言していたその言葉の実現と考えられるのであります。しかし、このときのヘロデ王と全エルサレムの住人はうろたえたと書かれています。この世界は闇に包まれています。その時代もそうでした。時の権力者ヘロデ大王は、苛酷なことを平気でする悪王でありましたし、民の祭司長たちや、律法学者たちも、ユダヤの王の誕生を知って、歓迎するどころか無関心であった、あるいは心を騒がすばかりであったのです。ヘロデはまず彼らを集めて、どこで、聖書によって、メシアが、キリストが生まれているのかを問いただしました。すると、「それは、ユダヤのベツレヘムです。それは、こう書かれていますから」というのです。「ユダのベツレヘムよ、お前はユダの君たちの中で最も小さいものではない。お前から、指導者が出る、そのものが私の民イスラエルを牧するであろう」と。これは、ミカ書とサムエル記に書かれている預言の言葉をつないで引用してあるのであります。
それから、ヘロデは、マギたちをひそかに呼んで、いつからその星が輝き始めたのかを詳しく聞き、「私も拝みに行くからよく調べて知らせてくれるように、そうすれば、私も行って拝もう」と言って、彼らを送り出しましたのであります。
すると、その主の星が再び輝き出て、彼らを先導し、その幼子のいる家の真上でとどまり、「彼らは、それをみて大きな喜びを喜んだ」と書かれています。そして、家の中へと入り、幼子とその母を見出し、ひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげたのであります。ユダヤ人の王に、異邦人たちが最初に気づき、礼拝をささげ、服従を示し、天へと宝を積んだのであります。
そして、夢で、ヘロデのもとに帰るなとのお告げを受けて、別の道を通って彼らの国へと引っ込んだというのであります。
 この世界は、罪にまみれています。今もそうであります。しかし、この罪の世界へと、幼子として、神の独り子はおいでになられたのであります。私たちは、神の言葉を頼りに、本日のマギたちと同じように、この真の王をひれ伏し拝む礼拝を続ける一年を送りたいものです。そして、出会うすべての人々を教会へと粘り強く導く者になることを願いたい、いや、そうすることがゆるされている一人ひとりであることを確かめていきたいものであります。アーメン。
 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、キリスト・イエスにあって、あなたがたにあるように。








スポンサーサイト
2009/01/04(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。