津田沼教会 牧師のメッセージ
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『神との関係で完全な者に」(マタイ5:38~48)
マタイ5:38-48、2005・06・05、聖霊降臨後第3主日(緑)聖餐礼拝
レビ記19:17-18、コリントの信徒への手紙一 3:10-23、

マタイによる福音書5章38節~48節
 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」


説教「神との関係で完全な者に」(マタイ5:38~48)
本日の前段は、「復讐をしてはならない」という主イエスの戒めであり、後段(5:43-48)は、「敵を愛せよ」と言う教えであります。
 私たちは、これらの言葉が、不可能に近いことを知っています。しかし、神との関係で、神がそうであられるように、まったき者、それに向かって一途なものであることを、求められています。
 「歯には歯を、目には目を」と言われていることをあなたがたは聞いていると、本日の箇所は始まります。これは同害報復を教えたものであり、それまでの一族にまでも報復する野蛮な慣習を制限したハムラビ法典にさかのぼるヘブライ法の慈悲に満ちた教えであります。それに対して、更にわたしは言う、と主イエスは3つの例をあげます。これらは、法律的な報復にかかわるものであります。悪人に手向かうな。これは、法律的なやりかえしを求めるなというのが、中心にある考え方です。
 「あなたの右の頬を打つものに、左の頬をも向けよ。」これは、軽蔑のやり方であります。それに対して反撃を加える権利を行使してはならないといわれます。私たちは、軽蔑されることに、なかなかがまんすることができないのであります。しかし、神が慈悲深いように、そして、私たちを寛大に赦しておられるように、あなたがたも、完全であるべきだというのであります。亀井勝一郎さんは、もしも、イエス・キリストが受難のときに、右の頬を打たれたとき、もう一方の頬をも向けなかったならば、大祭司たちは、イエスを、十字架にかけることはしなかったであろうと書いておられます。
 次に、下着を取ろうと訴える者にも、上着をもまかせ、1ミリオン、1.5キロを荷物持ちなどで強いるローマ兵などの要求に対して、2ミリオンを彼と共に出て行くように言われるのであります。
 そして、あなたから、借りることを求める者に与え、あなたから借りようとする者に背を向けるなと言われます。
 さて、後段は、愛敵に関する教えであります。「隣人を愛し、敵を憎むようにと言われているのをあなたがたは聞いている。」「しかし、あなたがたは敵を愛し、迫害する者のために祈るように」と主は言われます。
 これは、共同体に対する迫害者などに対処するにあたっての教会のあるべき姿を言っているのであります。そして、それによって「あなたがたが、あなたがたの天の父のとなるように」と主はいわれます。
 「神は、悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせるから」であります。
 「あなたがたによくしてくれる者に、よくしたとて、何の報いがあろうか。あなたがたに挨拶してくれる。」これは、「あなたがたの平安と幸福を願ってくれる者たち」の意味でありますがそんな者にだけ、挨拶したと手何の勝ったことがあろうか。それなら異邦人でもしていることではないかと言われるのです。天の報いが残されるような生き方をしなさいと言われるのであります。
 そして「天の父が完全であられるようにあなたがたも完全な者になるように」と言われるのであります。
 一途に、天の報いを求めつつ、わたしたちは、一日一日を努め、ふるまうべきであります。軽蔑に遭い、不当なことに遭っても、わたしたちは、わたしたちの天の父が情け深いように、そのように、ふるまうことこそが、父なる神の願っておられるご意志であります。私たちは欠点だらけの不完全な者ですが、苦しい目にあっても、しかし父との関係でまっすぐにつながって生きていきましょう。
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。

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2005/06/05(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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