津田沼教会 牧師のメッセージ
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「いかに生きるべきか」(マタイ22:34~40)
マタイ22:34-40、2008・11・09、聖霊降臨後第26主日(典礼色―緑―)
申命記26:16-19、テサロニケの信徒への手紙一1:1-10

マタイによる福音書22:34~40
 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」



説教「いかに生きるべきか」(マタイ22:34~40)
 
私は、本日の説教題を「いかに生きるべきか」とつけておきました。私は、主イエスに出会い、洗礼をうけるまでは、求道生活を数年しながら、教会には通っていましたが、主イエスこそが、そしてその父なる神こそが、唯一の正しく「いかに生きるべきか」を教えてくれる方だとは分かっていませんでした。
 キャンパスクルセードという学生向けの伝道をしている集会に、英会話も学べるということで、大学生の頃、通いましたが、あるとき、何があなたにとって一番大切なものかと問われたときに、私は「真理」だと答えましたが、スタッフのある宣教師は、「イエス・キリスト」だと言われました。その頃の私には、何も、それはイエス・キリストに限る必要はないではないかと疑問に思ったことを憶えています。私は、大学に学問をし、また、将来の職業なども頭にあって夢見ながら入ったこともさることながら、何よりも自由と真理を求めて、動きまわっていました。
しかし、疾風怒涛の時代と青春時代が言われますように、心の中には、永続する平安はなく、これこそ真理だと思ったものが、しばらくすると、すぐにそうでなくなって、挫折してしまうことの繰り返しでした。しかし、いろいろな経過を辿って、教会の人たちからも導かれながら、27歳で洗礼を受けたのです。
 今は、どうでしょうか。今も、心と思いと行いとによって、主のみ前に罪を犯す毎週の繰り返しであります。しかし、主イエスが、そのような私を赦すために、2000年前に十字架にかかられたことを知らされ、主の十字架と復活の他には、人間には救いがないことを知っています。
 先週は、アメリカの大統領選挙があり、オバマ氏が初の黒人として次期大統領に選ばれました。彼はどのような大統領になるのでしょうか。私たちは、世界の政治が少しでもよくなり、世界を、あるいは日本をリードする指導者たちのために祈らなければなりません。
 当日の新聞を読んでいて、彼の言行録のなかに、アメリカでは、現在、宗教の中に、教会へと逃避して、なだれこむ人々が増えているというような誤解を招きそうな言葉も言っているのがちょっと気になりました。
ところで、日本の政治家にも、土肥隆一という衆議院議員でかつ日本基督教団の牧師である人がいます。あるとき、私がつながっている修養会で彼の講演を聞いたのですが、彼は、宗教と政治が良くなることこそが今の日本で一番大切なことだと言っていました。
さて、本日の福音は、サドカイ派が復活論争で主によって沈黙させられたことを聞いて、同じく主の敵対者であったファリサイ派の人々が一つの場所に集まり、そのうちの一人、律法の専門家が、主を試すために質問したことから、始まっています。「先生、律法のうちで一番大きい命令はどれですか」と。旧約聖書の教えをトーラーと言いますが、そのころの考え方としては色々あったようです。主が失言することを、律法の専門家はねらったのでしょう。彼に対して主は、「『あなたは、主なる神をあなたのすべての心において、あなたのすべての精神・魂において、また、あなたのすべての思いにおいて愛さなければならない・愛するであろう』(申命記6:5)これが、最も大きく、また第一の命令である」と言われ、「第二もそれと同様である。すなわち、『あなたは、あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい・愛するであろう』」というレビ記19:18を結びつけたのであります。そして、この二つに律法がかかっているし、預言者たちもかかっている、全旧約聖書がかかっていると結ばれたのであります。神を愛するという言い方は聖書では比較的稀な言葉であります。なぜならば、神が私たちを先に、み子の十字架を通して愛してくださったからであります。また、主の言われる「あなたの隣人を愛せよ」というのには、敵も含めてあらゆる人々が考えられています。
「神を愛し、人を愛する」ということは、マタイ5-7章の山上の説教の要約でもあり、また、モーセを通してシナイ山で与えられた十戒の要約でもあります。それが一番大切な聖書、イエスの時代の人々にとっては旧約聖書のエッセンスであり、人が「いかに生きるべきか」の答えだったのであります。それは、すべての隣人に愛着を持てというような表面的なことでは決してなく、私たちが接するあらゆる隣人に関わりを持ち、その必要に応えていくことであります。そして、これを語られた主がやがて、十字架の死と復活を通して、先に私たち一人ひとりを愛してくださったことに応えて、私たちは主なる神のご意志に忠実に従っていくことが求められているのであります。
祈りましょう。
 天の父なる神さま。
 私どもは、日ごとに、また、週ごとに、み前に、心と思いと行いによって罪を犯し、また、なすべきことを怠って、主日を迎えることが多くあります。それを、懺悔し、よき行い、すなわち、あなたを愛し、すべての人を愛する道をあなたはみ子を通して教えてくださいました。一年の教会暦の終わりへと近づいていますが、どうか、私たちの目を開き、心を開いて、あなたのみ旨に適った生活が出来るように、あなたのみ言葉を聞かせてください。私たちは、なかなか人をそのままに受け入れ、愛することが出来ませんが、あなたが先に、私たちを無条件で愛し、赦してくださいました。どうか、あなたの命令につき従い、既に救われた者として、全人格を傾けてみ心に適った生き方をなさせてください。世界の指導者たち、政治家や教師や役所で働く人々をはじめ、すべての人々が毎日み心に適った働き、行き方が出来るように導いてください。キリストによって祈ります。アーメン。
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2008/11/09(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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