津田沼教会 牧師のメッセージ
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「風を見て沈み始めるペトロ」(マタイ14:22~33)
マタイ14:22-33、2008・08・31、聖霊降臨後第16主日(典礼色―緑―)
列王記上19:1-21、ローマの信徒への手紙11:13-24

マタイ14:22~33
 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。



説教「風を見て沈み始めるペトロ」(マタイ14:22~33)

 私たちは、本日の記事においても、先週に続いて、常識、理性からは信じられないような奇跡の記事を与えられています。これは、マルコの記事にマタイが手を加えて創作したものなのでしょうか。マタイは、ペトロが、主に願って自分も水の上を主のもとに歩いていったというマタイだけの記している記事を残しています。
 大水は、旧約聖書では混沌を表し、恐怖の的でありました。水の上を歩くことが出来るのは、神のみでありました。12弟子たちは、主イエスによって、向こう岸へと、5千人への供食の後、強いて先に舟に乗るように求められ、向かって行きました。主イエスは、ただ一人お残りになり、5千人を解散させ、ご自分は祈るためにただ一人で丘に、山に上られました。山は、神と出会う場所であります。弟子たちは、波によって悩まされていました。それは、私たちの出会う人間的な苦しみを表しているかのようです。それは、風が反対であったからであると記されています。この波により、また、風によって苦しまされている12人の乗った小舟は、教会に属する私たち一人ひとりの経験を、前もって表現しているように考えられます。主イエスは、何スタディオンも離れた、何百メートルも陸地から離れた舟が逆風で悩まされているのを、ご覧になり、第四の見張り番の時、すなわち、午前3時から6時の明け方の時、それは、また、主のご復活の時でもありましたが、海の上を渡り歩いて、弟子たちのほうへとやって来られます。弟子たちは、それをみて、幽霊あるいは、何かの幻影だと思い、怯えて、恐れから叫び声をあげます。主は、安心せよ、私である、恐れるなと彼らに語り掛けられました。私であるというのは、「私は有りて有る者」という旧約聖書で出てくる神の自己表現でもあります。主イエスが、水の上を歩き回ることのできる神であることを、それは示しています。それに対して、ペトロは、「主よ、あなたでしたら、私があなたのほうへと水の上をやって来るようにと命じてください」と言います。主はやって来なさいと応じられました。そして、ペトロは、主のほうへと水の上を歩いていたのでありますが、ふと強力な風を見て、恐ろしくなり、それで、沈み始めるのであります。キリストの命令に従い大胆に歩む時には、私たちは多くの波や風、人生の色々な試練や不安や病気、死の恐れをも克服することが出来ます。しかし、強い風を見るとき、私たちは、キリストが見えなくなり、大水の深みへと沈み始めるのであります。主はペトロが叫んで助けを求めたとき、片手を差し伸べ、ペトロを掴み、舟へと共に上がられました。そして、その時、風はやんだのであります。主は、ペトロに「何へとあなたは疑ったのか、信仰のほとんどない者よ」、言われました。主は、咎められて、そう言われたのではなく、すべての主である私にのみ信頼して常に従って来なさいとやさしく諭されたのであります。そして、舟の中の人々、すなわち、弟子たちは、「真にあなたは神の子です」と信仰告白することが出来たのであります。マタイに出てくる弟子たちは、マルコのそれとは違い、主イエスこそ神の子であると理解し、信じることが出来る弟子たちであります。そして、私たちも、本日のペトロと同じようにしばしば疑いに陥りますけれども、それを克服して、確固たる信仰へと成長できる弟子へと招かれているのであります。主イエスと共に歩む時、私たちは、恐怖、死の恐れ、病気やあらゆる不安、試練をも乗り越えていくことが出来ると、本日の福音は、私たちを励まし、勇気付けてくれるのであります。祈ります。
 天の父なる神さま。
 8月も終わろうとしています。猛暑や残暑の中を今日まで何とか歩むことができました。これから、収穫の秋、伝道の時期を迎えようとしています。どうか、津田沼教会の小さな群れを、あなたが、共にいて、助け励まし、み言葉によって養ってください。今年の主題である「家族や身近なところから、伝道をしよう」という主題を少しでも前進させ、実現させてください。風を見て、沈み始めるのではなくて、常に主イエスを見つめ、主のみ言葉である全聖書の言葉を頼りに、日々の生活を歩ませてください。キリストによって祈ります。
 人知ではとうていはかり知ることの出来ない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。


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2008/08/31(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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