津田沼教会 牧師のメッセージ
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「倉に集められる麦の喜びに」(マタイ13:24~35)
マタイ13:24-35、2008・08・10、聖霊降臨後第13主日(典礼色―緑―)
イザヤ書44:6-8、ローマの信徒への手紙8:26-30

マタイによる福音書13:24~35
 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」
 また、別のたとえをお話になった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 「わたしは口を開いてたとえを用い、
  天地創造の時から隠されていたことを告げる。」



説教「倉に集められる麦の喜びに」(マタイ13:24~35)
私たちは、先週の平和の主日の記念日で用いた赤から、再び、聖霊降臨後の緑の典礼色に戻り、本日はマタイ13:24-35による主として主イエスの語られた譬え、み言葉が与えられています。本日の内容は、主イエスがなされた天の国の譬えとして、毒麦の譬え、からし種の譬え、パン種の譬えが与えられており、それに付随して、主イエスがなぜ、そのように譬えで、群衆に、また、弟子たちに語られるのかが説かれています。
天の国とは、「もろもろの天の王国」という言葉であり、神の国とも言われ、神の御支配を意味します。主イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣教の初めに第一声をあげられました。神の支配が近づいているから、あなた方は全生活を神に向かって方向転換せよ、と言われたのでありますが、本日の譬えは、その天の国とはどのようなものであるのか、神の御支配とはどういう状態であるのかを語っているのであります。それを主イエスは、群衆に、また、弟子たちに譬えで語られ、譬え以外では一切語られなかったと言われているのであります。
それは、預言者が語った言葉が満たされるためであったとマタイは記しています。これは、実際には詩編78:2を少し解釈しなおして引用しているのであります。詩編78:2は、新共同訳聖書では、「わたしは口を開いて箴言を、いにしえからの言い伝えを語ろう」となっていますが、それをマタイは少し、変えて、「私は、譬えどもにおいて、私の口を開こう、[世界の]初めからの隠されたことどもを私は告げよう・発散させよう」というふうに言い換えているのであります。そして、天の国の3つの譬えを、本日の個所で、主イエスは語られるのであります。
私たちの生活が、あるいは、人類の歴史が、天の国、すなわち、神の御支配に与るとは、どういうことでありましょうか。毒麦のたとえを、最後にし、先に、からし種、および、パン種の譬えから、聞いていきましょう。天の国とはまず、からし種に譬えられると主は言われます。それは、すべての種のうちで最も小さい種だが、成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、空の鳥たちがやって来てその枝に巣を作るほどの木になると主は言われます。津田沼教会の周りにも、牧師館の駐車場を含めて、2本、3本とからし種の木が高く育っています。パレスチナでは、2.5メートルから3.5メートルほどにも、特別に大きいものでは、5メートルにもなると言われていますが津田沼教会のからし種の木でも2.5メートル位にはなっています。最初は、種といわれるものの中で最も小さな種粒にすぎないが、成長すると空の鳥がやって来て巣を作るほどの木となる。これは属国を保護する大王国を表現する言い方であり、世界中に、異邦人にも、天の国、神の支配は及ぶことを、主イエスは言われているのであります。実際、現在世界中にキリスト教は広がっています。
また、主は、天の国は、パン種、すなわち膨らし粉を、女の人が取って、3サトン、―1サトンは12.8リットルでありますから、かなりな量でありますが、その小麦粉の中に隠したようなものであり、それで全体が膨らまされるのに似ていると言われるのであります。天の国は、はじめは見えないけれども、結果は大きなものとして現されることになるというのであります。私たちの信仰というものも、そのようにやがて大きくなる。
確かに、現在、キリスト教は、そして、教会は、全世界に広まっています。しかし、まだまだ、私たちの周囲を見渡すとき、キリストを救い主として信じ、教会につながっている人は、主イエスがお語りになった預言からは程遠いのであります。特にそのことを、私たちは、8月のこのお盆を迎える時期に、身内と触れ合い、友人たち、あるいは田舎の同窓会などで同級生たちと会う機会に痛感させられるのであります。
さて、最後に、毒麦の譬えについて、ご一緒に考えてみましょう。主は、もう一つの譬えを彼ら、群衆や弟子たちの前において語られるのであります。天の国、神の御支配は以下のように譬えられる。それは、ある人が、彼の畑によい種をまいたのであります。ところが、人々が眠っている間に、敵の人がやって来て、その良い麦の種の間に毒麦をまいていって、立ち去ったのであります。やがて、良い麦の種は芽を出し、実をもたらしましたが、そのとき、毒麦も現れたのであります。彼のしもべたちは、家の主人のところにやって来て、言います。だんなさま、あなたがまいたのは、良い麦の種だったのではありませんか。それなら、どこから、あなたの畑は毒麦どもをも持っているのですか。主人は答えます。敵の人が、それをしたのだ。それなら、私たちが行って、毒麦を引き抜いてきましょうか。主人は答えます。あなた方は決して、毒麦と共に良い麦も引き抜くことにならないように。そうではなくて、刈り入れの時に、私は刈り取る人に、まず、毒麦を刈り取って束にし、火に向かって投げ込むようにさせよう。それから、良い麦は、刈り取って、私の倉に集めるように言おうと。
私たちの教会の中には、毒麦も、良い麦と同じようにして、混じり合っています。ルターは、教会において、真のキリスト者はごくわずかなものだと言いました。また、自分が、救いへと予定されているのか、裁き、滅びへと予定されているのか、しょっちゅう思い煩うことはやめなさい。それよりも、精一杯、自分に与えられた日々の任務、仕事に精を出しなさいと言いました。
神さま、そして、主イエスは、忍耐強く、終わりの日まで、私たちを見守り、私たちが、倉に集められる麦の喜びに与れるように、待っておられるお方であります。
 日本で、特に田舎では、キリスト教の人、教会に行く人は非常に少ないです。都会でも事情はそれほど変わりません。しかし、この8月のお盆の時期、私たちは、大きな宣教の困難と共に、チャンスにも直面しています。どの人が、よき麦であるのか、それとも毒麦、雑草であるのかは、刈り入れの時まで、主イエスは待つと約束されています。よい麦が1本でも間違って引き抜かれることがないためであります。いったん、キリスト教に、あるいは教会に躓いた人であっても、主なる神、そしてみ子主イエスはご自分のところに帰って来る信徒を、また、求道者を待ち続けていてくださいます。一人でも多くの人々に、私たちも忍耐強く、また、思慮深くふるまい、聖書に記されている天の国、神の御支配を受け入れ、最後は共々に主の収穫の倉に集められる者となるように、働きかけ、告げていく証し人になっていきたいと思います。祈りましょう。
天の父なる神さま。私たちは、力弱く、欠けた土の器に過ぎません。しかし、あなたは、私たちをもお用いになって、人々を天の国、神の御支配に招きいれようとなさいます。この8月の夏休みの時期、希望をもってみ子キリストによる恵みと救いを宣べ伝えていくことができますように。あなたの器として、私たちの体と心を守り、強め、支えてください。キリストによって。アーメン。
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2008/08/10(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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