津田沼教会 牧師のメッセージ
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「すべてはキリストの土台の上に」(マタイ7:15~29)
マタイ7:15-29、2008・06・22、聖霊降臨後第6主日(典礼色―緑―)
申命記11:18-28、ローマの信徒への手紙1:8-17

マタイによる福音書7:15~29
 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」
 イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。



説教「すべては、キリストの土台の上に」(マタイ7:15~29)
 私たちは、聖霊降臨後の主日、この緑色で表されます時期、マタイによる福音書を通して、主イエスの語られたお言葉や、なさった働きについて学んでいきます。そして、ここのところ、マタイ福音書5-7章の山上の説教から、主イエスのお言葉を学んできました。
 本日与えられています福音、マタイ福音書7:15~29は、その締めくくりに当たる山上の説教の最後の部分であります。
 主は、外側は、羊の覆いをしているが、内部は、貪欲な狼である者たちに気をつけなさいと言われます。私たちは、すべての人々に、救い主キリストを宣べ伝えたいと願っていますが、この世の中には確かに、貪欲な狼のような人々も混じっており、それは、恐らく世界の終わりの日までそのようでありましょう。
 主は続けて、人はすべてそのもたらす実で、その人がいかなる人間であるか判断することが出来ると言われます。ばらが、ぶどうの実をもたらすことはないし、あざみが、イチジクの実を結ぶこともない。すべて、良い木はみごとな実をもたらし、腐った木はみごとな実をもたらすことはないと言われます。すべて良いりんごの木はよいりんごの実をもたらす。腐った悪いりんごの木からみごとなりんごの実をもたらすことはないのであります。
 そして、主イエスは、すべて主よ、主よと私に言う者が天の国に入るのではない。彼らは言うであろう。私たちは、神の啓示を宣言しましたし、奇跡の働きをもなしてきましたと。しかし、私は、あなた方を知らない、不法を行う者たちよ、私から離れ去れと言うであろう。そして、なぜあなた方は、主よ、主よと言いながら、天の父のご意志を行わないのかと私は言うだろう。それゆえ、私の言葉を聞いて行う者は、次の人のように譬えられよう、と言われ、それは、分別のある人で、彼は、岩に向かって基礎を置いて家を建てた人である。大雨がくだり、川がやって来、風が起こり、その家に打ち付けたが、その家はびくともしなかったのであると言われ、逆に、私の言葉を聞いて行わない者は、次の愚かな人に似せられようと言われます。すなわち、彼は、砂の上に自分の家を建てたのであり、大雨がふり、風が吹き、その家にたたきつけた。すると、その家の崩壊は大きなものだったのであると言われます。そして、これを聞いていた群集は主イエスの言葉に圧倒されていた。なぜなら、彼らの律法学者のようにではなく、権威を持つ者のように、主は教えておられたからであると、締めくくられています。
 私たち、ルターの足跡を求めてドイツの北から南へとドイツを巡る旅をここ11日間を7名で無事終えることが出来ました。ルターは、「信仰のみ」を言った人です。それは、行いはどうでもよいということではまったくありません。すべてのことを、聖書にのっとって、信仰にのっとって、そこから初めて、真のよき働き、行いがあふれ出ざるを得ないとルターは言ったのです。ローマ教会から帝国アハト刑を受け、命の保障もなく、教皇からは破門されて、しかし、幸いにも優れた諸侯たちに守られて、宗教改革の働きが、ルターを中心になされていきました。私たちは、ルターと共に、信仰の原点に立ち返りながら、全てのことをキリストの土台の上に見定めながら歩むとき、よいりんごの木が見事なりんごの実をもたらすことを信じて生きていけます。アーメン。
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2008/06/22(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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