津田沼教会 牧師のメッセージ
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「天に上げられる」(使徒言行録1:1~11)
使徒言行録1:1-11、昇天主日(典礼色―白―聖餐式あり)
エフェソの信徒への手紙1:15-23、ルカによる福音書24:44-53

使徒言行録1:1~11
 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終えると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」



説教「天に上げられる」(使徒言行録1:1~11)
 
本日は昇天主日であります。主は復活なさり、40日間、弟子たちのもとに現れ、色々とお教えになり、それから、本日の使徒言行録1:1-12を読みますと、ついに天に上げられるのであります。それは、私たち教会が、今や父の右に座しておられる主イエスから、力を受けるためであります。彼らは、父がお定めになった時は、今なのですかと尋ねます。しかし、主は、神の国が実現するのは、父のみがご存知であると答えられます。
 私たちは、約束された聖霊を受けるまで、座して待たなければならないのです。
さて、昨日まで全国教師会を含めると4日間にわたって、ルーテル教会の総会が開かれました。
 高齢化などに伴う、牧師の給与を捻出するのに困難をきたしています。それで、100年のブラジル移民の年に当たる本年の総会で、日本人の牧師をブラジルに派遣することはやめることにしようにしようという提案も執行部・常議員会から出されました。幸いにして、それは否決されましたが、神学校で牧師をこれから増やすように努力するが、神学生が神学校を卒業して按手を受けても、受け入れるだけの財源も持たない状態も出てくるとの心配も出てきました。
 どうすれば、このような現実的な困難を乗り越えることが出来るのでしょうか。私たちは、本日の弟子たちと同じように、地の果てまで、主イエス・キリストの生涯とそのお言葉、み業、その十字架の死とその後の復活についての証人となるだろうと、困惑する弟子たちと同様に、今も、復活の主は語っておられ、天の父の右の座につかれておられるのであります。
 主が昇天して、父なる神の右に座しておられる。昇天によって、悲しい別れが来たのではなく、主が地上のすべての教会とともに、時間と空間を越えて、その再臨の日まで、私たちに力を与え、共にいてくださることになるということが、本日の昇天の出来事の意味であります。
 そして、神の国がいつ完成されるのかは、父のほかに誰も知りません。
 私たちは、その終わりのときまで、緊張しながら、しかし、自由に、罪から解き放たれた者として、主の再臨を待ち望みつつ、主を信じて、日々なすべき働きをなさねばなりません。
 最近、徳善先生のおだしになった「マルチン・ルター、―信仰と生涯―」という本を読んでいます。ルターは、生の中で、死を予期し、死の中で生を生きる・死を克服するような生き方をしなさいと、勧めています。神が共にいてくださる。キリストが、死を克服し、十字架の死から復活して共にいてくださる。だから、聖書の言葉を信じて、要らない心配などに心を奪われないで雄々しく生きなさいと勧めています。その本の最終章、12章の中には、終わり近くに、ルターのデス・マスクの写しが描かれています。
 しっかりした、信仰に生きた人の死に顔であります。
 私たちも、そのような生き方をすることができる。それが、昇天の出来事が約束していることでもあると思います。
ルターを、ドイツのお国柄などを調べるために、ドイツを紹介するハンドブックを買って、めくっていてすぐに目に付いたのは、ルターは一人の「思想家」として、紹介されています。
 しかし、ルターは、聖書を根底から読み込み、戦い、生きていった信仰の人、説教者、牧師なのであります。そして、そのような生き方は、私たち教会に属する者のだれでもが、聖書を信じて生きていくことによって、可能ではないかと思います。
 「あなた方はなぜ、天に昇られた主イエスを仰いで立ちすくんでいるのか。あの方は、あなたたちが昇天して行ったのを見たのと、同じようにしてまた来られる」と、二人の天使は諭しました。そして、弟子たちは、約束を待ち、やがて、聖霊を受けて、地の果てまで、異邦人の中心地ローマにまで、さらには、イスパニアにまでも、この福音の証人として出て行ったのであります。私たちも、彼らと同じように、すべての人に福音をのべ伝える者として、約束されている聖霊を受けて、新たな1週間を歩みだしましょう。アーメン。
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2008/05/04(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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