津田沼教会 牧師のメッセージ
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「父と子と助け主なる神」(ヨハネ14:15~21)
ヨハネ14:15-21、復活後第5主日(典礼色―白―)2008・04・27
使徒言行録17:22-34、ペトロの手紙一3:8-17

ヨハネによる福音書14:15~21
 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」




説教「父と子と助け主なる神」(ヨハネ14:15~21)
 
私たちは、昇天主日を除けば、本日が復活後主日の最後の主日を迎えています。そして、先週と本日の福音は、ヨハネ福音書14章の告別説教から選ばれています。これらの記事は復活の出来事そのものではありませんが、復活と大きく関わる主イエスの約束であり、この復活節に是非読まれるべき個所として、敢えてルーテル教会の復活節の個所として選ばれているのでしょう。
 告別説教は、13:33で「子たちよ」と弟子たちに呼びかけられて、始まっています。世の中の親と子はいずれは、別離の時を迎えます。しかし、弟子たちと別れる主イエスは、私はあなたがたを決してみなしご、孤児のままにはしておかないと本日の個所のちょうど
中心部分で約束されるのであります。
 さて、今日の記事は、「私を愛する者は私の教えを、掟を守る」とはじまり、終わりは逆に「私の掟を守る者は、私を愛する者である」という言葉となっています。
 私の掟、教えとは、まず私たち弟子が互いに愛し合うことであります。私たちは、一番身近な家庭でもなかなか愛し合うことが出来ないのであります。しかし、それを実行することが、主イエスを愛することであり、父なる神を愛することでもあるのであります。
 主は、「私を愛する者は、私の掟、教えを守る、大事にするであろう」と、本日の記事におけるお言葉を語り始められます。そして、本日の個所は14:15-17と14:18-21に大まかに二つの部分に分けることが出来るでしょう。
 主は、前半で、最初の先ほどの言葉の後に、「私も、御父に要求して、父は別の弁護者をあなたがたに与えるであろう」と約束されます。この弁護者とは、パラクレートスという言葉であります。そばに呼ばれた者、あるいはそばに立って呼ぶ者という意味で、別のというのは主イエスご自身も弁護者・パラクレートスであるからであります。
しかし、ここでは、すぐ後に言い換えられているように、真理の霊、すなわち、聖霊のことであります。パラクレートスという言葉には、助け手、慰め主、励ます方、教え諭す方というようないろいろな意味が含まれています。この世界はそれを受け取ることが出来ない、なぜなら、それを見ようとはしないし、認識しようともしないからであると言われます。この世界とは、紀元後90年代のヨハネ福音書が書かれたころのユダヤ人たちを主に指しています。弟子たちはそれを認識し、それ、真理の霊は弟子たちのところにとどまり、弟子たちのうちにそれはあるであろうと言われます。
 後半の14:18-21では、本日の個所のちょうど真ん中に位置する言葉として、「私は、あなた方をみなしごにはしておかない、またあなた方の下にやって来る」と言われています。「世界は今しばらくすると、私を見なくなるがあなた方は私を見る、そして私は生き、あなた方も生きるであろう」と言われます。
主イエスは、十字架の後、弟子たちのもとに復活して姿を現わしました。そして、天の父のもとに帰り、そこから聖霊を送られるのであります。主は「かの日において」あなた方は、分かるだろう、私が父におり、あなた方は私のうちにおり、私もあなた方においていることをと、おっしゃいました。復活という出来事と父のもとからの聖霊降臨は、ヨハネ福音書においては同時化されているのであります。
 そして、一番最後の言葉として、「私は私を愛するものに私を現わす、すなわち啓示する」と言われています。私たちは、この現代世界にあって決して孤独ではありません。父と子と助け主なる神が、私たち弟子たちが相互に愛し合うときに、そして、主イエスこそ、神の子キリストであるという信仰にとどまるときに、常に私たちと共にいてくださいます。アーメン。
 

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2008/04/27(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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