津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主ご復活の朝」(ヨハネ20:1~18)
ヨハネ20:1-18、2008・03・23、復活祭(典礼色―白-)
使徒言行録10:39-43、コロサイの信徒への手紙3:1-4

ヨハネによる福音書20:1~18
 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。
 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。


説教「主ご復活の朝」(ヨハネ20:1~18)
  
皆さん、主のご復活、おめでとうございます。私たちは、主の十字架への道行きを思い起こしながら、主日以外の40日間を四旬節として過ごしてきました。そして、ようやく本日、主イエスのご復活の朝を迎えているのであります。
 今朝、与えられている福音は、ヨハネ福音書20:1-18であります。これは、マグダラのマリアが墓に行き、石が持ち上げられているのを見て、弟子たちに伝え、ペトロと主が愛されたもう一人の弟子がその墓に確かめに行くという前半の20:1-10と、再び墓に戻ったマグダラのマリアに復活された主ご自身が姿を現わすという20:11-18の後半部分から成り立っています。その出来事について、ご一緒に、しばらく考えてみたいと思います。
 今日の出来事は、もう一度、振り返ってみると、こういうものでありました。
安息日からの第一日目、すなわち、日曜日、週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは、墓に行きます。ここでは、マグダラのマリアだけが行ったかのように書かれています。そして、どの福音書の復活の出来事において登場するのは、このマグダラのマリアであります。それだけ、主イエスを失った彼女の痛みと悲しみは、他の人以上に大きかったのであります。
 ところが、その墓、主の遺体を収められた場所に行ってみますと、その入り口を封印していた大きな石は、持ち上げられてあり、墓は開いて、空であるのを見出したのであります。マリアは、走り出して、弟子たちのところに帰り、私たちの主を、彼らが取り去りました。私たちは、彼がどこに置かれたのか分かりませんと報告したのであります。すると、ペトロともう一人の主イエスが愛しておられた弟子が走り出します。そして二人は共に駆け出したのでありますが、もう一人の弟子のほうが先になり、墓までやって来ます。彼は中を覗き込み、亜麻布が見えましたが、中には入りませんでした。そして、ペトロが送れてやって来ます。
 彼は中に入り、遺体に巻かれてあった亜麻布とまた別のところに頭を覆っていた覆い・ナプキンのようなものが丸めてある・あるいは折りたたんであるのを見ます。それから、もう一人の弟子も入って、それを見て信じたのであります。彼らは、なぜならば、彼は死人どもから起き上がることになっているという聖書をまだ知らなかったのであるとあります。そして彼らは自分たちのほうへと立ち去ったのであります。
 その後、マグダラのマリアも、もう一度やって来て、墓のそばで泣いていました。そして、ふと、中を覗き込むと、遺体のあったと思われる足のほうと、頭のほうにまばゆい姿の二人の天使が座っているのを見るのであります。天使たちは、女よ、なぜ泣いているのか、誰を捜しているのかと問います。マリアは主を彼らが持ち去りました。そして彼らがどこに置いたのか私には分からないのですと言います。そして、ふと振り返ると、主イエスが立っておられました。
 マリアは、園丁だと思って、ご主人、あなたが彼を持ち去ったのなら、置いた場所を教えてください。私が持ち去りますと答えます。すると主は、マリアと呼びかけます。生前と同じ声で呼びかけられました。その時、マリアは、ラボニ、先生と返事をします。すると主は、私に触ってはならない。私はまだ、父に向かって上ってはいないからだと答えます。そして言われます。私の兄弟たちのところへ行って、伝えなさい。私の父、そしてあなた方の父のもとに、私の神、あなた方の神のもとへ私は上ると。マリアは弟子たちのところへやって来ていいます。私は主を見ました、そして、それらのことを彼が彼女に言ったことを伝えたのであります。
 主イエスは、父のもとから来られ、父のもとへと上られます。そこに、私たちの永遠の住まいを用意するためであります。
 私たちは、四旬節の間にも、言葉と行いと思いによって多くの罪を犯しました。しかし、私たちは、十字架の主によってその罪をあがなわれ、そして、主のご復活によって、闇から光の状態へと移されているのであります。私たちは、イースターのこの新しい朝において希望の光の中へと移されているのであります。そのことを憶えて、この喜びを人々にも証しするものとされているのであります。アーメン。







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