津田沼教会 牧師のメッセージ
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「渇きをいやすメシア」(ヨハネ4:5~26)
ヨハネ4:5-26、2008・02・24、四旬節第3主日(典礼色―紫―)
出エジプト記17:1-7、ローマの信徒への手紙4:17b‐25

ヨハネによる福音書4:5~26
 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。
 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝する者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」



説教「渇きをいやすメシア」(ヨハネ4:5~26)
   
本日、レントの第3主日に与えられています福音は、ヨハネ福音書4:5-26、あるいは、5:42であります。本日から、枝の主日を除いて、復活節までの間、ヨハネ福音書が主として読まれます。四旬節、受難節、あるいはレントと呼ばれるこの時期に、この個所が与えられている意味について、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。
 主イエスは、ファリサイ派の人たちが、自分がヨハネよりも多くの弟子たちをつくり、弟子たちが洗礼を施していることを耳にしたことを知ると、ユダヤを去って、ガリラヤに向かわれます。そのとき、サマリアを通らねばならなかったと、本日の個所のすぐ前に書かれています。これは、当然そうすることになっていたとも訳すことのできる言葉で、このときサマリアを通っていくことが神のご計画であったことを表しています。
 そして、シカルという町の近くにやって来られ、ヤコブの井戸のそばに、あるいは、上に、主は、旅の疲れから、座っておられました。主イエスも私たちと同じように肉体的に疲労困憊される時があるのであります。
さて、私が聖地旅行に行ったときにも、ここがヤコブの井戸だという場所にバスをとめて立ち寄ったことをかすかに覚えています。今でも30メートルほどもある深い井戸だということでした。
 さて、そこにちょうど、第6時、すなわち正午ころ、暑い盛りであったでしょうか、人気のない時を見計らってかのように、サマリアの女の人が水をくみにやって来るのであります。その時、主は、彼女に語りかけます。直訳しますと、「私に飲むことを与えてください。」すると、その女の人は、答えます。「ユダヤ人のあなたが、どうして、サマリアの女である私に飲むことを与えてくださいと頼むのですか。」それはユダヤ人はサマリア人とは交際していなかったからであるとあります。サマリア人は、アッシリア帝国によって国が滅ぼされ、植民してきた外国人と混血して出来上がっていた人々で、ユダヤ人たちからは、異国の神々をも信じる者として正当なユダヤ教ではないと軽蔑されていたのであります。しかも、古代の世界でそのサマリアの女性に語りかけるというのは通常ではないことでありました。
 主は言われます。「あなたが、神の賜物・贈り物を知っており、あなたに語っている者がだれであるか、知っていたならば、あなたは自分から求め、彼は生きた水・命の水をあなたに与えたことであろうに」と。女の人は言います。「主よ、この井戸は深いし、あなたはくむ物を持っていません。どうやってその水を与えるというのですか。また、私たちの父祖ヤコブよりも偉いのですか」
 主は、「この井戸から飲む者は、また、渇くであろう。しかし、私が与える水から飲む者は、再び渇かず、その人において泉となり、水がほとばしり出るであろう」と言われました。すると、女は、「主よ、私が再び渇かず、ここにくみに来なくていいようにその水を与えてください」と言います。この女の人の渇きとは、彼女の抱えていた罪のことでありました。主はそれをご存じであり、「あなたは行ってあなたの夫を連れてきなさい」と言われます。彼女は、「私には夫はいません」と答えます。主は言われました。「あなたは見事に答えた。あなたには五人の夫がいたが、今一緒にいるのは夫ではない。」女は「主よ、私はあなたを預言者だと見ます」と答えます。私たちは多くの渇きを持っています。しかし、私たちの抱えている渇き・罪は、主イエスの生きた水、すなわちみ言葉によってしか、完全にいやされ、自由の身となることはできないのであります。
 それから、彼女は、礼拝の場所の問題へと対話を移していきます。「私たちは、この山、ゲリジム山で礼拝していますが、あなた方は礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています。」主は言われます、「私を信じなさい、この山でもエルサレムでもなく、あなた方が父を礼拝するであろうときが来る。あなた方は知らない方を礼拝しているが、私たちは知っている方を礼拝している。救いはユダヤ人から来るからである。ところで、時が来ており、今がそうである、すなわち、真実の礼拝をする者たちが霊と真実において礼拝するであろう時が来ている。神は霊であるから、霊と真実において礼拝する者を求めておられる。」もはやある場所や人種に限られる礼拝ではなく、世界中至るところで霊と真実において父を礼拝することが主イエスのご到来において実現するのであります。それが教会であります。
 さて、それに対して、女の人は答えます。「私は、キリストと呼ばれるメシアがお出でになることは知っています。その方がすべてのことを知らせてくださるでしょう。」主は、「私である、あなたに語っている者である」とご自分がメシアであることを本日のサマリアの女にははっきりと啓示なさるのであります。
 本日のテキストは最初に言いましたように、4:5-42まで長く選ぶことも認められています。そしてそのほうがより深く理解することができるでしょう。そして、このサマリアの女の人とは、福音書記者ヨハネの時代のサマリアの教会を暗示していたと考えることもできます。そして、どの教会も、霊と真実において父を礼拝することにおいては分け隔てはなく、またユダヤ人も、サマリア人も、ギリシャ人もなく、同等であることを教えているのかもしれません。現代の教会においても多くの教派に分かれています。しかしそこに和解と一致の道を主御自身が差し示しておられると受けとめることもできるでありましょう。
 祈ります。
 天の父なる神さま。
 私たちは、日々、多くの渇き・罪を覚えます。しかし、あなたのみ子の生きた水により、そのお言葉によって再び渇くことのない者、罪を克服することができる者とされています。私たちも毎日の試練の中で、祈りつつ聖書を読む日々を過ごさせて下さい。そして、日常の中でこそ、み子が私たちを罪から贖う唯一のメシアであることを証しする生活をさせてください。キリストによって祈ります。アーメン。
私たちの神はご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。
  
 

  
 
  


 
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2008/02/24(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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