津田沼教会 牧師のメッセージ
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「聖家族のエジプトへの避難」(マタイ2:13~23)
マタイ2:13-23、2007・12・30、降誕後主日(典礼色―白―)
イザヤ書63:7-9、ガラテヤの信徒への手紙4:4-7

マタイによる福音書2:13~23
 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 
 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
 「ラマで声が聞こえた。
  激しく嘆き悲しむ声だ。
  ラケルは子供たちのことで泣き、
  慰めてもらおうともしない、
  子供たちがもういないから。」
 
ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。


説教「聖家族のエジプトへの避難」(マタイ2:13~23)

 本日のマタイ2:13-23は三つの部分から成っています。それは、聖家族のエジプトへの避難、2:13-15と、ヘロデ大王による嬰児虐殺2:16-18、そして、聖家族のイスラエルへの帰還2:19-23であります。もう一度、本日の出来事について順をおって、思い起こしてみましょう。
 本日の記述のすぐ前は、東方の占星術の学者たち、マギたちが、夢でヘロデのところへ、戻るなとのお告げを受けてそれぞれの国へと帰ってしまいます。主イエスがすぐ生まれたばかりの赤ん坊であったとか、年齢のこととか、そういう事情は記されていません。ただ、占星術の学者たちが帰った後、ヨセフは夢で天使の啓示を受けます。起きて、息子とその母を連れてエジプトへと逃れなさいと警告を受けるのです。父ヨセフは、ルカでは、違いますが、マタイでは積極的な働きをしています。ヨセフは起きてすぐ、その子とその母親を連れてエジプトに逃れます。これは、エジプトから私がその子を呼び出したとある旧約聖書が実現するためであったとマタイは記しています。その当時、ヘロデ大王の暴虐振りから考えると十分に起こりえた事実であります。エジプトから私の子イスラエルを呼び戻したと出エジプト記などにあるのを、マタイは救い主イエスをエジプトから呼び戻したことの預言成就の出来事として解釈しているのであります。
それから、2番目の出来事は、ヘロデ大王による何の罪もない男の子たちの虐殺であります。どうして、このようなことが許されるのでしょうか。どうして、独り子のその後の使命の為にとはいえ、なぜこのような不条理な出来事が起こらねばならなかったのでしょうか。マタイは、エレミヤ書の言葉を引用し、ラマで泣く声、大いなる悲嘆があった。ラケル、ヤコブの妻は、その子らのために泣き、人から慰められようとはしなかった。彼女の子らがもういないからであると引用しています。しかし、その引用されているエレミヤ書では、すぐその後に喜びが語られているのです。その子らが、バビロン捕囚から戻ってくると希望と喜びが約束されているのです。しかし、ベツレヘムとその近辺一体の母親たちの嘆きはどうなるのでしょうか。み子によるその後の働きを保護するために、その男の子たちの命が代償とされたのであります。私たちはそのような大きな犠牲の上に主イエスによる救いに与っているのであります。
さて、イエスがどれくらいエジプトに滞在したのかは書かれていません。ヘロデ大王は紀元前4年に死んでいますから、戻ってくるのはそれ以後のこととなります。こうして、3つ目の出来事は、再び、夢で天使が現れ、起きて、イスラエルに帰れ、その子の命を狙っていた者たちは死んでしまったからだというものでした。ヨセフは、天使のお告げに常に従順に従い、子と母親の安全を守り、イスラエルの地に帰ってくるのであります。
それは、モーセがエジプトの力からかなり長く離れて暮らし、妻や子を連れてエジプトに戻っていった旧約聖書の出来事をマタイは頭においているからであります。ヨセフは反対にそのエジプトからイスラエルの地へと戻っていきます。これによって、わが子をエジプトから呼び戻したと言う旧約の預言が実現したとマタイは言いたいのであります。実際には、出エジプトの出来事は、イスラエルの子らを約束の地イスラエルに、旧約では呼び戻したのでありますが、マタイは、救い主イエスをエジプトから呼び戻したという預言が実現したものだと言っています。ヨセフはイスラエルの地に戻ってきますが、ユダの地は、ヘロデの子アルケラオが支配していて暴圧的な王でありましたので、ベツレヘムに戻ることなどは恐れました。それで夢でお告げがあったので、それに従い、ガリラヤのナザレへと退いたのであります。そしてこれも、彼はナザレ人(ナザライオス)と呼ばれるとの旧約が実現したと書いています。しかしそのような直接のその通りの言葉は旧約聖書にはありません。それは、サムソンのようなナジル人を意味したかもしれませんし、若枝が生え出るというイザヤ書に出てくる似た発音の言葉が考えられているのかもしれません。このようにして、幼子イエスは、神の守りのうちに、育てられていきます。救い主の誕生においては、本日の福音書に書かれているような大きな犠牲が必要だったのであります。
 今は、クリスマスの喜びの時でありますが、その喜びの裏には、何人もの罪のない男の子たちの命とそれを奪われた母親たちの悲しみがあったことを私たちも深く受け止め、この救いの重さを忘れずに歩みたいものであります。アーメン。






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2007/12/30(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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