津田沼教会 牧師のメッセージ
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「主の平和!」(ヨハネ16:25~33)
ヨハネ16:25-33、2007・11・04、全聖徒主日(典礼色―白―聖餐式)
ヨナ書2:1-10、コリントの信徒への手紙一15:50-58

ヨハネによる福音書16:25~33
「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」



説教「主の平和!」(ヨハネ16:25~33)

 本日は全聖徒主日であります。聖徒というと聖人君子といった普通の人とは異なる特別な人のように思いますが、全聖徒主日という場合の聖徒とは決してそうではありません。自分が弱い人間であり、罪を犯しやすいことに気づき、主イエスと彼を送られた父なる神により頼むしかないと悟って聖書に、そして教会に導かれたすべての人々が聖徒なのであります。私たちは、本日の特別な日を先に召されたすべての主イエスへとより頼んだ方々を思い起こし、同時に残された有限なるこの地上の人生をより充実して、み心にかなった過ごし方をするために、ご遺族の方を始め、ここに皆で一堂に会しているのであります。    
今日の召された方々を覚えるに際しては、津田沼教会では、残念ながら、洗礼にまでいかなかった方や、信徒の御両親などいろいろな事情のある方も含まれています。しかしただ、一点、主イエスを求めた方々であるという点では同じであります。
 そして、ここに集められています私たちも、主イエスと父なる神、そして、助け主なる聖霊により頼むことを、もう一度新たにしたいと思うのであります。今日の福音書はヨハネ16:25-33であります。主イエスが弟子たちと分かれようとしているときに語った言葉であります。今までは、たとえ、ここでは、秘密の言葉、あるいは、暗喩、暗い言葉というふうな意味の言葉が遣われていますが、その「たとえ」という表現で主イエスは弟子たちに、そしてまた、群衆にも教えてきたのでありますが、この告別の説教の最後のときに、主は「はっきりと」、「率直に」、あるいは「公然と」語られるというのであります。
 そして、今からは、私があなた方のために、父に代わって願ってあげようとは言わない。あなた方が私の名において、何でも父に願いなさい。父があなた方を愛しておられ、私が父から、神から出てきて、この世界にやって来て、そして今、再び父のもとに進んでいこうとしているのである。そして、あなた方はそのことを信じたのであると言われます。弟子たちは、あなたは今では、なんでも「はっきりと」語られ、誰もあなたに何も問い訪ねる必要をあなたは持っていないと答えます。
しかし、主は、あなた方は今分かったというのか。しかし、あなた方はみな自分の家にちりじりになって帰り、私を一人残すときが来よう、いやもう、来ていると言われます。しかし、私は一人ではなく、父が共におられる。これらのことを、語っておくのはあなた方が私において平和を持つためであるといわれます。主の平和を得るために、主は私たちに前もってこれらの言葉を語られるのであります。この世では苦しみ、艱難があると主は見抜いておられます。しかし、主はあなた方は元気を出しなさい。私は既にこの世界の悩み、苦しみに勝利している、それらを既に克服していると言われるのであります。
 私たちは、主によって既に完全な平和を与えられています。それを誰も奪い去ることはできません。この地上での死も私たちに主が与えてくださる平和をなくすことはできません。本日思い起こしている先に召された一人一人とともに、私たちもこの主の与えてくださる平和、平安をおぼえたいと思います。皆さん一人一人の上に主の十字架と復活によって与えられたこの平和がこれからも豊かにありますように。アーメン。

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2007/11/04(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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