津田沼教会 牧師のメッセージ
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「抜け目のない賢いふるまい」(ルカ16:1~13)
ルカ16:1-13、2007・09・23、聖霊降臨後第17主日(典礼色―緑―)
コヘレトの言葉8:10-17、テモテへの手紙一2:1-7

ルカによる福音書16:1~13
 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけには行かない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分の家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値のあるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは神と富とに仕えることはできない。」


説教「抜け目のない賢いふるまい」(ルカ16:1~13)

 本日から、福音はルカ16章に入っていきます。今週の16:1-13、次週の16:19-31はどちらもこの現実の世界で富を、どう用いるかということに関わっています。本日の福音からしばらくご一緒に考えてみたいと思います。
 本日の記事は、16:1-8前段と、8後段から9節、10節から12節、そして最後の13節と4つの部分に分けて考えることができます。最初は、いわゆる不正な管理人、口語訳聖書では家令とも訳されていましたが、その譬えそのものであり、それにいくつかの主イエスの語られた言葉が付け加えられたものと考えられます。それらの順序に従って、もう一度今日のみ言葉を思い起こしてみましょう。
 主イエスは、彼の弟子たちに対しても譬えを語られます。先週の譬えは、主イエスが罪人たちと親しくするのを妬むファリサイ派など敵対者に対しての譬えでありました。主は自分は失われた者たちを取り返すために来たのだといって、いなくなった羊を捜す羊飼いやなくしたドラケメ銀貨を捜し出す女の譬えをしたのでした。
 それに対して今日の譬えに対しては、すぐ後でファリサイ派たちがこの譬えや言葉を聞いてあざ笑ったとも出てきますが、主として、彼の弟子たち、ですから、私たちに向けて語られているものです。
主イエスは言われます。ある金持ちがいて、彼には管理人がいたが、その管理人が彼の持ち物、財産をないがしろにしているという告発が、この主人にもたらされました。ガリラヤ地方の不在地主がこの主人であったかもしれません。この主人は、この告発、非難を聞いて管理人を呼び出し、言います。お前について私が耳にしていることは、何事だ。お前は今から財産管理の計算書を出しなさい、もうお前に管理人の仕事をさせておくわけには行かないと。
 この管理人は、主人の財産の何かを流用したり、無駄遣いしたのですが、それが何だったのか詳しい内容は書かれていません。
 彼は考えました。どうしようか。私は穴を掘る力仕事はできないし、物乞いするのは恥ずかしい。ああ分かった、私がこの事務仕事をやめさせられたときに、人々が私を迎え入れてくれるようにすればよいのだと。そして彼は負債者を一人ずつ、呼んで、最初の者に、あなたは、どれだけ、借りがあるのかといいますと、オリーブ油100バトスといいます。管理人は、ここにあなたの証文がある。今で言えば約束手形のようなものがあるということでしょうか。あなたは座って急いでそれを50と書きなさいと言うのです。そして、次の者にも同じように聞くと、小麦100コロスですというので、それならあなたは、ここを80コロスと書き換えなさいというのです。1バトスは約23リットル、1コロスは、約230リットルと言われています。相当膨大な負債です。ところが主人は、この抜け目のない賢い管理人のふるまいをほめたというのです。ここまでが、不正な管理人それ自体の譬えです。それは、あるいは利息分を差し引いてやっただけのことだったのかもしれません。
 主イエスは、言われます。この世の子らは、その仲間、その世代に対して、光の子ら、すなわちキリストの弟子たちよりも賢い、鋭敏であると評されるのであります。それに続いて主は、不正な富、マモンを使ってでも友達を作りなさい、そうすれば、それがなくなったとき、すなわち富、マモン、金が切れた時、あるいは、天に召されるときでしょうか、あなたがたを彼らが、天使たちでしょうか、あるいは貧しい人たちでしょうか、いずれにしても、そのように生きた私たちを、永遠の住まいへと迎え入れてくれると言われます。
 3つ目は、主イエスの語った言葉がここに加えられたものです。非常な小事に忠実な者は大事にも忠実であり、ごく小さな事に信頼の置けない者は大事にも信頼が置けない。それだから、不正なマモンについて、あなたがたが忠実な者たちにならなかったならば、だれがその真によいものを、真の富をまかせるだろうかと言われます。そしてさらにもし、他人の財産において、あなた方が忠実でなかったならば、あなた方に属するもの、真に私たちに属するべきもの、それは何でしょうか、私たちの救いに関わる事柄かもしれません。それを、だれがあなた方に与えようか、あるいは神が私たちにゆだねられようかと言われるのです。
 私たちは、主イエスのご到来によって、主に従うか、それとも従わないで裁きを招くか、その終末的な危機にさらされ、あるいは危急の決断に迫られています。
 そして主は、最後に締めくくりの言葉を語られています。だれも一家の召し使い、しもべは、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎み、一方を愛し、一方に献身し、あるいは一方を軽んじるからである。あなたがたは、神と富、マモンに従うことはできないと言われます。
 富、マモンは、人格的に考えられており、それは、私たちを完全にその誘惑に導き、不正、不正直に至らせるものと考えられています。神に従うなら、私たちは、あらゆる束縛から解放されて、自由な者の喜びへと変えられます。
 私たちは、富に支配されるのではなく、しかし、この世の子らの賢く抜け目のないふるまいを見て、主イエスと向かい合う時、光の子として、この世の子らに負けないように、より鋭い思慮分別を持ってふるまうことが求められています。天の住まいに入れるために、施しをしたり、確かな振舞いをして、永遠のみ国へと迎え入れられるように目覚めて歩みたいものであります。
 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
 


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