津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
『神との真の関係」(ルカ13:22~30)
ルカ13:22-30、2007・08・26、聖霊降臨後第13主日(典礼色―緑―)
イザヤ書66:18-23、ヘブライ人への手紙12:18-29

ルカによる福音書13:22~30
 イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」という人がいた。イエスは一同に言われた。「世界戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし、主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」



説教「神との真の関係」(ルカ13:22~30)
 
ルカによる福音書は、エルサレム神殿でのザカリアに天使が現れるという記事で始まり、最後も、エルサレム神殿に復活の主に出会った弟子たちがオリーブ山から帰ってきて、絶えず神をほめたたえていたという記事で終わっています。ある日本のルカによる福音書の注解書は、「旅空を歩むイエス」というサブタイトルを付けて、書かれているように、ルカ福音書は特にその9:51以下、エルサレムへの十字架の道を主が目指す旅として、記事がまとめられています。それは、エルサレムでの十字架への旅であり、また、そこから復活して最後は、天へと旅立つ主イエスの姿を描いています。
 本日の個所もそのエルサレムに向かう途上で起こった出来事として記されています。それが、具体的にいつ、どこの場所で起こり、あるいは、その質問をした人が弟子であったのか、群衆であったのか、それとも、ファリサイ派であったのか、律法学者であったのか、そのような背景は何も詳しく記されていません。
しばらく本日のルカ13:22-30の記事について、今一度思い起こしてみましょう。
 主イエスは、町々や村々に沿って、教えながら、また、エルサレムへと旅をしながら、歩いていっておられました。そのとき、ある人が、「主よ、救われる人は少ないのでしょうか」と主に言いました。これは、現在分詞ですので「今救われている人は少ないのでしょうか」とも訳することができます。いずれにしても、その質問には主イエスは直接にはお答えにならず、こう言われます。「あなた方は狭い戸口から入るように努めなさい。」日本語からは読み取れませんが、これも、狭い戸口から入るように、あらゆる神経を集中させなさい、あるいは別の新約聖書の中では「よき戦い戦い抜け」とか、「勝ち取れ」とか訳されていて非常に強い意味の言葉であります。そして「なぜならば、私は言っておくが、大勢がそこに入ろうと求めるが、それはできないであろうからである」と言われます。そして、「そこから、家の主人が立ち上がり、戸口を閉め、外にあなた方は立ち、あなた方はこう言いながら、戸をたたき始めよう。『主よ、私たちに空けてください』と。しかし、彼はこう語りつつ言うであろう。『私はあなた方がどこからの者なのか知らない。』そのときあなた方は言い始めるであろう。『私たちはあなたの前で食べましたし、飲みましたし、あなたは、私たちの通りでお教えになったのです』と。そしてしかし、彼はあなた方にこう語りながら言うであろう。『あなた方がどこからの者なのか、私は知らない。私からあなた方不義を働くすべての者は離れ去れ』」と。ここで不義とは、道徳的な間違いとか悪いことという意味ではなくて、神との真の関係を持たないでいるすべての状態を指しています。主イエスを信じること、そして、神を信じることとは決して容易なことではありません。主は続けて言われます。「そこでは、泣き叫びと歯軋りがあるであろう、そのときには、あなた方は、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者が神の国において食事の席についているのを、一方、あなた方は、外に投げ出されているのを見出すであろう。そして東から西から、北から南から人々はやって来るであろう、そして神の国で食事のために横になっているであろう。そして、見よ、終わりになるであろう最初の者たちがあり、最初になるであろう終わりの者たちがいる」と主は語られるのであります。本日の旧約聖書イザヤ書66章にもありましたように、終わりの日には、異邦人にも救いの福音が伝えられ、人々は主のもとに、世界中から集まるのであります。
私たちは、今自分は救われているかどうか、あるいは死後救いに予定されているのかどうかなど、それ自体に頭を悩ますのではなく、主イエスが言われる「その狭い戸口から」、そこから入るためには競争の激しい神の国という家の中での食卓に着けるように今この日々を全力を尽くすべきであります。時として、私たちは疲れ果て、また気力もうせて、神の国、神の支配を求めることが難しいときもあるでしょう。主は、しかし、その私たちの弱さもよくご存知です。主が言われるように、今終わりである者たちが先の者たちになっていることもあるし、その逆もおこります。私たちは絶えず人々にも福音をのべ伝えつつ、自分が落伍者となり、終りの日には後の者となっているということが起こらないように今という大切な日々を気をゆるませずに精一杯歩みましょう。
天の父なる神さま。
私たちはしばしば油断し、あなたのみ言葉から離れ易く、絶えず神経をみ言葉へと集中させることがなかなかできないものです。あなたは、その私たちの弱さをよくご存知です。しかし、狭い戸口から入り、ついには救いの神の家での食卓に与れるように励ましてください。そのような中で、すべての隣人にあなたの救いの喜びを告げ広める者とならせてください。キリストによって祈ります。アーメン。
スポンサーサイト
2007/08/26(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。