津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリスト者の自由」(ガラテヤ5:1~6)鈴木浩牧師
ガラテヤ5:2-26、2007・07・15、特別礼拝

ガラテヤ5:1~6
 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません。

ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
 


 説教「キリスト者の自由」(ガラテヤ5:1~6)鈴木浩牧師(日本ルーテル神学校教授)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが皆さんの上に豊かにありますように、アーメン。

1517年10月31日のことと伝えられていますが、アウグスティヌス会という修道会に属していた修道層で、大学で旧約聖書学の教授をしていたマルティン・ルターが、教会の扉にいわゆる「95ヶ条の提題」と呼ばれるビラを貼り出しました。そのようなビラを貼り出すというのは特別なことではなかったようで、何か議論をしようとする時には、当時の人はそうしていたようです。ちょうど、中国の「壁新聞」のようなものだったと考えればいいかもしれません。
このビラがきっかけとなって、宗教改革が始まりましたので、それ以来「95ヶ条の提題」が掲示された10月31日が、「宗教改革記念日」として記念されてきました。おそらく、世界各地の教会で、当日、宗教改革を記念する礼拝が守られていることだろうと思います。
ルター自身はこの「95ヶ条の提題」を貼り出してからずいぶんと時が経っても、実は、「教会の改革」をしようというような気持ちは少しもありませんでした。彼の関心はもともと非常に個人的な問題で、一言で言えば「自分の救いの確かさ」ということにありました。どうしたら、自分は救われているという確信を持てるのか、というのが彼の意識を占めていたことでした。ルターはですから、自分が貼り出したビラが、瞬く間にヨーロッパ中に知れ渡ったことに非常に驚き、戸惑いました。しかし、もともとそんな気はなかったのに、ルターの問題意識、つまり、「救いの確かさの問題」に多くの人が共感を寄せたのは、実は大勢の人が、ルターほど自覚的ではなかったかもしれませんが、同じような気持ちを抱いていたのでしょう。
中世後期、つまり、ルターの宗教改革に先立つ数世紀という時代の世相を一言で言えば、「宗教的不安の時代」と呼ぶことができるでしょう。現代もしばしば「不安の時代」と呼ばれていますが、現代人の持つ不安は、中世後期の人が持っていた不安とは、はっきり質が違います。今の時代は、何か得体の知れない、実態の不明な、はっきりと定義するのが難しい不安が特徴ですが、中世後期の人々が抱いていた不安は、もっとはっきりとしたものでした。それは、自分がすくわれるかどうか、という不安でした。自分の吸う杭に関する不安、それが、当時の人々が抱いていた根本的な不安でした。
中世はしばしば「暗黒時代」とも呼ばれますが、その実体に即して言えば、中世はそれ以上に「信仰の時代」であったと言った方がいいでしょう。皮肉な見方をする人ならば、「信仰の時代」というよりも「迷信の時代」と言った方がいいと思うかもしれません。しかし、「救い」が人々の究極的な関心であった、ということは言えます。しかし、この場合には「救い」とは死んでから「天国に入る」という意味でした。この世での生活は、ですから、極端な言い方をすれば、そのための準備の生活のようなものでした。
決定的なのは、「死の瞬間」でした。ここで、天国に行くか、それとも地獄に堕ちるかが決まったのです。中世の終わり頃、隠れたベストセラーとでも呼ぶべき本が現れ、たくさんの読者を獲得しました。本と言うよりも「絵本」と言った方がいいのですが、どの本にも同じ表題が付いていました。「アルス・モリエンディ」という名前です。直訳すれば「死ぬための技術」、つまり、「どのようにして死ぬのか」というのがその意味です。名前からして気持ちのいい本ではありませんが、挿し絵は、まさに死のうとしている人の腕をキリストとサタンが綱引きのようにして引っ張り合っています。キリストが勝てば、その人は死んでから天国に行きますが、サタンが勝てば、地獄に行かねばならないということになります。「アルス・モリエンディ」という本は、この死の床でのキリストとサタンの綱引きで、キリストに勝ってもらうためにはどうしたらいいのかを教える本でした。
当時の人々の状態は、ちょうど、その一生が受験勉強のようなものでした。死ぬときが、一回限りの受験のようなもので、滑り止めも、やり直しもきかないのです。受験生が受験が終わるまで、不安であるように、当時の人々は、自分の救いに確信が持てないまま、不安のままに、死に直面したのです。フランスの有名な聖人にジャンヌダルクという少女がいました。1431年に異端者として処刑されます。本当の理由は他にあったのだと思うのですが、異端者として処刑された正式の理由は、教会の教えに逆らって、人間はこの世で自分の救いの確かさを持つことができると信じたからだ、ということになっています。ジャンヌダルクを裁いたパリ大学神学部教授会の判決は、こうなっています。「この女は、既に栄光にあずかっているかのように、自分がパラダイスに受け入れられたという確信を持っていると語る時に、罪を犯している。なぜなら、この地上の旅路では、自分が栄光にふさわしいのか、それとも刑罰にふさわしいのかは、どんな巡礼者にも分からないからである。それは、全能なる審判者だけが判断することである」。つまり、救いの確信を持つということは、罪を犯すことだと言うのです。当時の教会の教えによれば、自分の救いについて確信を持つことができず、不安なままの一生を生きて行かねばならないのです。
宗教改革者ルターもそのような世界に生まれ、そのような世界に生きたのです。他の人と少し違っていたのは、彼が類稀な良心的な人間であったこと、自分の心を決して偽ることのできない人だったことでした。あるいは、それは彼の場合、少し病的なほどだったかもしれません。そのルターが、自分の救いに不安を持ったのですから、たまったものではありません。他の人が、その不安を騙しだまし、なんとかごまかしながら生きていた時に、彼はその不安に真正面から向き合ったのです。
当然のことですが、彼は非常に大きな精神的危機に陥ります。その危機を乗り越えようとして、父親と激しい対立を起こしてでも、ルターは修道院に入ってしまいます。多分、自分の深刻な危機を克服するのは、修道院しかないと思ったのでしょう。しかし、修道院に入ったら、その不安から逃れられると思っていたのに、不幸なことに、その不安はいっそう募るようになります。危機を克服しようとしたのに、逆に危機は深まったのです。どちらを向いても、乗り越えられない壁だらけなのです。ルターは追い詰められていきます。
ルターはしかし修道院で祈っていればいい、というわけにはいきませんでした。大学で聖書を教えるのが、彼の務めでしたから、神の救いに確信が持てず、むしろ、神の裁きに怯えながら、聖書を教えるという離れ業をしなければなりませんでした。精神的には非常に苦しい日が続きます。
しかし、結局、そういう苦闘の中で聖書を教えていたことが、ルターの突破口になりました。彼は聖書と直接取り組みましたから、教会の教えと聖書の食い違いにも徐々に気付いていきます。特に救いの確かさについて、教会は人間にはどんな信仰深い人にも、それは与えられることがないと教えていましたが、聖書はしかし、違うことを語っていました。
イエスは、自分と一緒に十字架に就けられた人に向かって、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる」と断定されていました。長血を患っていた女性に、イエスは「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と語っておられました。ザアカイに向かっては、「きょう、この家に救いが訪れた」と語っておられました。使徒パウロは、「見よ、今が恵みの時、今が救いの時」と書いています。
何か遠い先のことではなく、「今」が救いの時だと聖書は語っているのです。イエスは更に、「わたしはよみがえりであり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、決して死なない」とさえ言われていました。
教会の教えという「色眼鏡」を外して、聖書に直接向き合うと、そこには、イエスの力に満ちた救いの言葉があったのです。ローマ書でパウロはこう書いていました。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただ、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」。
それまで、聞いていた教会の教えでは、あたかも「キリストの贖いの業」がないかのように、「罪人を無償で義とする」神の恵みがないかのように、キリストの十字架が「罪を贖う供え物」でないかのように、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」というパウロの言葉の前半だけを唱えているかのようでした。
聖書の言葉、とりわけ、イエス御自身の言葉は、イエスの十字架による罪人の救いをはっきりと告げていました。自分が神の目から見れば罪人であるという事実は、動かすことができない事実としてありました。しかし、それ以上に、イエス・キリストの十字架の救いの出来事も、動かすことのできない事実だったのです。救いの確かさとは、ですから、イエス・キリストの十字架の出来事の確かさなのです。
イエスは「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と語っておられます。十字架の出来事も、決して揺れ動くことはないのです。自分がどれだけゆれ動いても、イエスの言葉は揺れ動くことはないし、イエスの言葉も揺れ動くことはないのです。
自分の救いに確信が持てず、不安でおののいていたときのルターは、自分の中ばかり覗き込んでいました。そこに見えたのは、神の裁きのもとに立っている自分の姿でした。ルターはしかし、それが最大の過ちであることに気が付くのです。そうではなく、自分のために十字架にかかっているイエスを見なければならないことに、ルターははっきりと目覚めます。そして、そこに自分の救いがかかっていること、そこに自分の救いの確かさを見たのです。そして、今までの自分は、あたかもあのイエスの十字架がなかったかのように、長血の女性に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われたイエスの言葉がないかのように、そして、もっと言えば、イエスのよみがえりがなかったかのようにして、神の溢れるばかりの恵みがないかのようにして、不安におののいていたことに気付くのです。
イエスの十字架が自分の救いの確かな徴であることを悟ったルターは、あの不安から自由になりました。あの不安から自由になると、世の中がすっかり変わって見えて来ます。すべてがそれまでとは違って見えてきます。神の裁きのもとに立っていた世界が、神の恵みに包まれている世界として見えてきたのです。
「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」とパウロは語っています。そして、「だから」とパウロは続けます、「だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません」。また、15節には「兄弟たち、あなた方は、自由を得るために召し出されたのです」ともあります。
1520年、ルターは『キリスト者の自由』と題した小さな書物を出版します。ラテン語版もドイツ語版もありました。ドイツ語版は、ラテン語を理解しない一般民衆のために書かれたものです。今日では「自由」は人間の基本的な権利として当然のことと思われているのですが、人間の『次湯』を真正面から取り上げて論じた書物は、それまでありませんでした。少なくとも一般民衆の手に届くところにはありませんでした。ルターは、「キリスト者であることは自由であることだ」と語っています。しかし、その「自由」は、
自分の好き勝手なことができる、という意味ではありません。「自由」とは、罪や悪魔の虜になっている状態からの解放です。別な言い方をすれば、「神の像にならって創造された」人間の本来の姿を回復する、ということになります。
そうなった時に初めて、人間は「自らすすんで人に仕える」ことができるようになります。
 この『キリスト者の自由』の書き出しは次のようになっています。
 キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服さない。
 キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する。

 ルターのように、キリストの恵による救いにあずかる人は、まさにこのような人になるべく召されているのです。「あなた方は、自由を得るために召し出されたのです」とパウロが語っているとおりです。 
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2007/07/15(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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