津田沼教会 牧師のメッセージ
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「生き生きとした希望」(ヨハネ20:19-23)内海望牧師
ヨハネ20:19-23、2005・04・03、復活後第1主日
使徒言行録2:22-32、ペトロの手紙一1:3-9、

ヨハネによる福音書20章19節~23節
 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

説教「生き生きとした希望」(ヨハネ20:19-23)内海望牧師

 イースターの出来事は決してドラマティックではありませんでした。復活のイエスさまに出会ったのに、現実には弟子たちはおびえていたのです。復活を信じられないという点では、2000年前も現代も変りはないのです。
 19節。イエスさまが復活された日の夕方、弟子たちは暗い部屋に閉じこもっていました。彼らは、イエスさまを殺した人々が自分たちも殺すかも知れないという死の恐怖から、この世から離れ、内側からしっかりとかんぬきを下ろして、じっと身を寄せ合っていたのです。それだけではありません。彼らは、今、目を伏せて、自分たちが卑怯にもイエスさまを見捨てて逃げ去ったことを思い(マタイ26:56)、イエスさまを知らない、と言った自分の裏切りを思い、深い罪の思いに沈んでいたのです。
 確かに、死は絶対的な力をもっているように見えます。親しい者の死に出会うとき、もはやこの人には会えないことを知らされます。別離、それが死の恐ろしさであり、悲しみなのです。多少の延命は出来ても、人間の力ではどうすることも出来ないのです。
 罪も同じです。「もう決して罪は犯すまい」と身もだえして決心しても、私たちは自分の利益のためには友も、尊敬する教師も裏切るのです。人間の心は自己愛から離れることは出来ません。自分の犯した罪でありながら、自分の力ではどうしても克服できないのです。原罪という言葉を信ぜざるを得ないのが私たちの現実の姿です。
 私たちも、自分の「罪と死」について真剣に考えれば考えるほど、この弟子たちのように心の内側からかんぬきをかけて暗い世界に閉じこもってしまうのです。事柄は自分の力ではどうしようもないだけにいっそう深刻です。26節にも同じ描写があることを考えると、弟子たちの心の暗闇がよく分かります。
 19節後半。ところが復活のイエスさまにとっては「扉」も「かんぬき」も何の妨げにもなりませんでした。「そこへ、イエスが来て真ん中に立ち『あなたがたに平和があるように』と言われた」と書かれています。人間の力ではどうすることも出来ない「死と罪の壁」、それを復活のイエスさまはいとも軽々と乗り越え、私たちの真ん中に立たれるのです。「真ん中」という言葉に注意してください。「弟子たちの真ん中に」ということは、「今、ここでも」ということなのです。それは決して「弟子たち、あるいは私たちがイエスさまの御許に辿り着き、やっと信じることが出来た」ということではありません。イエスさまが、信じることの出来ない弟子たちの真ん中に来てくださったのです!
 しかし、実はイエスさまの道は決して「軽々とした道」ではありませんでした。イエスさまは私たちの罪のために鞭打たれ、苦しみ、死の痛み、苦しみを極限まで経験され、そして復活された方です。その方が、おびえ、信じようとしない弟子たちに対し「平和があるように」と語りかけ、「息を吹きかけて」下さったのです。この出来事は、聖霊による新しい命の息吹き、新しい創造を意味します。この復活の命によって、私たちは再びこの世を生き抜く力を与えられるのです。
 人間は希望なしには生きていけません。[東京大空襲]。これは希望的な観測であり、嵐が過ぎ去るのをじっと耐える力と言えます。これは大切なことでしょう。 しかし、今、「罪と死に打ち勝ち」私たちの真ん中に立たれる復活のイエスに出会った時、弟子たちは、「生き生きとした(永遠の)希望を」(ペトロの手紙)与えられたのです。使徒言行録はこう語ります。「わたしはいつも目の前に主を見ていた。主が私の右におられるので、わたしは決して動揺しない。・・・」(使徒言行録2:25=詩編16編)。
 何れも躍動感に満ちた文章であり、心を開き、聖霊の力を胸一杯に吹き込まれた者の喜びを感じさせます。人間の力では克服することの出来ない「罪と死」の痛みと悲しみを潜り抜け、私たちにいのちを与えるために「私たちの真ん中に立たれる主イエス!」。
 この方が、「言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れた生き方」(ペトロ1:8)を与えてくださったのです。信じる者すべてに与えられる喜びと希望です。これを得るためには、私たちは疑いの心を捨て「心を空にし」、大きく息を吸い込むことが大切です。
 私たちに新しい命の息を吹き込まれた復活のイエスさまは、更に「あなたがたを遣わす」とこの世界への派遣(進軍)命令を下されます。それは「生き生きとした希望に満ちた生き方」を人々の間で生きよ、という命令なのです。世界には、わたしたちの周囲には心を暗くする出来事が数多くあります。その中で、希望を伝える群れとなりましょう!
 
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2005/04/03(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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