津田沼教会 牧師のメッセージ
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「ただ、お言葉をください」(ルカ7:1~10)
ルカ7:1-10、2007・06・17、聖霊降臨後第3主日(典礼色―緑―)
列王記上8:41-43、ガラテヤの信徒への手紙1:1-10

ルカによる福音書7:1~10
 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。



説教「ただ、お言葉をください」(ルカ7:1~10)

聖霊降臨後の季節となり、教会暦で用いられる色が緑となる時期を迎えています。先週の福音書の個所でありました平地の説教の終りの部分を終えて、本日はルカ7:1-10が与えられています。そして次週はそれに続く7:11-17の部分となっています。本日の記事は、危篤の状態になっている百人隊長のある部下にかかわる出来事でありますし、次週は、あるやもめの一人息子の死にかかわる出来事であります。偶然かもしれませんが、死という人間にとって避けることのできない出来事として、二つの記事はここにまとめられているのかもしれません。本日の福音の出来事についてしばらくご一緒に考えてみたいと思います。
主は、平地での説教を、先週の福音の記事として読まれましたところまで語られたのであります。そして、彼のすべての言葉を民衆の耳へと満たした後に、カファルナウムへとやって来られたのであります。ここに一人の百人隊長がいて、彼にとっては尊い部下、兵士である奴隷がいましたが、この部下は重い病気でまさに死にかかっていました。この百人隊長は、異邦人であり、ヘロデ・アンティパスの傭兵として、警備や関税の仕事にかかわっていた軍人であったかもしれません。彼は、主イエスがやって来られたことを聞くと、ユダヤ人の長老たち、民間の指導者たちを主イエスのもとに送って、この部下を、やって来て救ってくださいと嘆願するのであります。長老たちはこう言います。「この人は、あなたがやって行かれるだけの価値のある人です。なぜなら、私たちのこの民に好意を示し、彼自ら私たちに会堂を建ててくれたからです」と。百人隊長は、新約聖書ではいずれも好意的に描かれています。同じくルカの第2巻の著作である使徒言行録に出てくる初めてペトロたちから洗礼を受けることになるコルネリウスという神を畏れる百人隊長と本日出てくる百人隊長は、ルカの頭の中では重なり合って考えられているようであります。この百人隊長も、ユダヤ人の神を畏れる敬虔な人物で、ユダヤ教に改宗する一歩手前の人物であったとも考えることができます。主イエスは、彼らと共に百人隊長の家に向かって出て行かれます。ところが、その家から既に遠くないところまで、主イエスが来ておられたときに、彼は、今度は自分の友人たちを遣わしてこう言わせるのであります。「主よ、ご自身をお煩わせになりませんように。むしろ、言葉でもって言ってください。そして、私のしもべをして癒さしめよ。なぜならば、私も権威の下に置かれている人間ですが、兵士たちを持っており、一人に『お前は進め』というと彼は進み、また一人に、『お前はやって来い』というと彼は来ます。また、部下に『これこれをせよ』というと彼はそうするからです。」
 主は彼に驚かれ、「言っておくが、私はこのイスラエルの中でもこれほどの信仰を見たことがない」と言われたのであります。そして、やって来た者たちが引き返すと、その部下が健康な状態になっているのを見出したというのであります。
この百人隊長は、「自分のような上官の権威の下にある人間でも、自分の権威の下にある者には、自分の言葉によって、部下を思うように動かすことができる。ましてや、人間のいかなる権威の下にもない主イエスであれば、遠く離れていても、そのお言葉で私の危篤にある愛する部下を救うことがおできになる」と信じ、また、「自分は、異邦人として、主イエスを自分の家の中にお招きするのにはふさわしくない」と謙遜に考えたのであります。
ルカは、特に異邦人であったが、キリスト教徒になった人々に向けてその福音書を、また、使徒言行録を書いています。それは、ユダヤ人以外の今の大多数のキリスト者に向けて、書かかれているのであります。私たちはその生前の主イエスと、直接にお会いすることはもはやできません。しかし、主イエスの語られたお言葉を、本日の百人隊長のように、自らを低くして、固い信仰を持って信じることはできるのであります。2000年ほども前の主イエスのお言葉を、私たちは、今も救いと癒す力があるお言葉として受け取ることができるのであります。そして、主イエスなきあとの使徒たちも、パウロをはじめ、手紙という形で聖霊の導きによりながら、神の「言葉」を伝えることによって、救い主イエスの使信と福音を地の果てまで伝えたのであります。私たちは、主イエスに直に会わなくても、主イエスの言葉を通して、主を見ないで信じることができるのであります。そして、主イエスのお言葉は、死と闇と罪とに、打ち勝つことができる力を備えており、遠く時間的にも、地理的にも離れた私たちを今も救い、癒すことができるのであります。私たちも、本日の百人隊長と共に、「主よ、ただお言葉をください」と求め、救いと癒しと平安を与えられる道を歩んでいきたいものであります。祈りましょう。
父なる神さま。私たちは、しばしば、罪に陥りますが、あなたのお言葉によって立ち直らせてください。そして、元気に平安のうちに、これからの1週間をみ子のお言葉をいただいて、それぞれを歩ませてください。キリストによって。
人知では到底測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

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2007/06/17(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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