津田沼教会 牧師のメッセージ
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「キリストという基礎の上に」(ルカ6:37~49)
ルカ6:37-49、聖霊降臨後第2主日(典礼色―緑―)
エレミヤ書7:1-7、コリントの信徒への手紙一15:12-20

ルカによる福音書6:37~49
 「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」イエスはまた、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」

 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」


説教「キリストという基礎の上に」(ルカ6:37~49)
先週までで、聖霊降臨祭と三位一体主日が終わって、本日から聖霊降臨後の季節に入り、再び、ルカ福音書が中心になって読まれていきます。今朝、与えられています福音の個所は、ルカ6:37-49であります。平地での説教の終りの部分であります。主イエスの言葉を聞いて、それを行う人と、聞くだけで行わない人との譬えが、結びの部分となっています。
私たちは、この礼拝に集まるほとんどの方は既に洗礼をお受けになったキリスト者でありますけれども、主イエスの言葉を常に完全に守ることのできる人は、いないのであります。私たちは、しばしば、倒れそうになり、否、実際倒れることもありますが、主イエスの言葉に何とかして生涯従っていこうと洗礼を受けた者であります。本日与えられましたその私たちが守るべき主イエスのお言葉を、もう一度思い起こしてみましょう。
主は、言われます。「あなた方は裁いてはならない、そうすれば、裁かれることはないであろう。あなた方は、人に有罪性を見出すな、そうすれば、あなたがたも自分たちの有罪性を見出されないであろう。あなた方は赦しなさい、そうすればあなた方も赦されるであろう。あなた方は与えなさい、そうすれば、あなた方は与えられるであろう。押し下げられ、揺れている、また、あふれている良い秤で、人々はあなた方の懐に入れてくれるであろう。なぜならば、あなた方の量る秤で、あなた方も量り返されるであろうから」と。裁きや報復は、神の専権事項であるからであります。
それから、主は続けて、譬えを言われます。「盲人が盲人を案内することができるであろうか。二人とも穴に落ち込むのではないか。弟子は先生以上の者ではない。しかし、訓練し、備えが十分にできれば、弟子も師のようになれるであろう」と言われるのであります。私たちは、キリストと同じような欠点のない、過ちのない者にはなれませんが、キリストに似たような者にはなれると、主イエスは言われます。絶えず、私たちの身の回りや、仕事や、日常生活を整えていくことにより、改善し、自己を改革し、変革していくことはできると主は約束してくださっています。
それから、「自分の目に、梁がひっかかっているのに、兄弟の目にあるおが屑、あるいは、小さなごみを取らせてくださいということができるのか」と主は問われます。まず、自分の目にある梁、丸太を取り出せ、そうすれば、よく見えるようになって、兄弟の目のごみをも取ることができるようになろうと言われます。他人の欠点や落ち度は気がつきやすいものです。しかし、自分の中にある欠点や瑕疵をまず、自己改革し、取り除いていくように努力することが先になされねばなりません。
それから、主は譬えを続けられます。「なぜならば、良い木が無価値な実をもたらすことはないし、悪い木が、良い実をもたらすこともないからである」と言われます。「バラからいちじくは採れないし、茨からぶどうをもぎとることもない」と言われ、私たちがどういう人間であるかはその実、その行いから窺い知ることができると言われます。
そして、結びに入り、「主よ、主よと言って、どうして私の言うことを行わないのか」と、言われます。私たち、全キリスト者に向けて、主は今も同じように問われているのです。そして、「私のところに来て、聞いて、行う人はどんな人に似ているかを見せよう」と言われます。「それは、地面を掘り、深く進んで、岩の上に基礎を置いた人に似ていると言われます。洪水が起きて、川が起こり、その家に襲い掛かったが、その家はよく建てられていることのゆえに、川もその家を揺るがすことができなかった」というのであります。
また、続けて言われます。「私のところに来てただ聞くだけで、私の言葉を行わない人は次の人に似ている。その人は土の上に基礎もなしに家を建てた。そして、川が起こって襲いかかると、たちまち、一緒になって重なり倒れた。そしてその破壊、崩壊は大きかったのである」というのです。
私たちは、終りの日に神さまの前に立たされる時、主イエスの言葉にどこまでも従い、とどまり続けたか、それとも、主のお言葉を行うことを軽んじて守らなかったかが問われるのであります。主のお言葉にとどまり続けることが、たとえ、時には倒れることがあっても、すぐに立ち返って、従っていくことが、求められています。毎日の生活の中で、主のお言葉を思い起こし、和解を心がけ、人を裁かず、主にすべてをゆだねて歩む生涯をここから、ご一緒に歩んでいきましょう。
一言祈ります。
天の父なる神様。
私たちは、聖霊降臨後の季節を迎えました。ルカによる福音書と共に、これからの教会暦の後半を歩むことができる幸いを感謝します。他人の落ち度や欠点はすぐに目に付きやすく、自分の問題点の改革を後回しにして、隣人を批判することに目が向きがちですが、み子の言われる言葉を守り、行うことは、まことの幸いであり、永遠の命に向かう道です。どうか、私たちを和解させ、共々にまずは自分自身の生活を改革していく道を歩ませてください。そして、病気や試練、困難を一人一人が乗り越えて、あなたと向かい合って、ついにはあなたを仰ぎ見る日を来たらせてください。キリストによって祈ります。
平和と信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。
アーメン。

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2007/06/10(日) 10:30:00| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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