津田沼教会 牧師のメッセージ
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「恵みと報いのある生き方」(ルカ6:27~36)
ルカ6:27-36、2007・02・11、顕現節第6主日(典礼色―緑―)
創世記45:3-15、コリントの信徒への手紙一14:12-20

ルカによる福音書6:27~36
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたちと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


説教「恵みと報いのある生き方」(ルカ6:27~36)

 本日は、顕現節第6主日を迎えました。そして、次週は変容主日で、顕現節の最終主日となります。その後、いよいよ、今年は2月21日の水曜日から受難節が始まります。本日は、緑の色で示されており、受難節前のしばらくあいた期間を、聖霊降臨後主日の期間と同じように、主イエスのお言葉とみ業について学ぶ時であります。先週に引き続いて、本日は、平地での説教と呼ばれている部分の一節、ルカ福音書6:27-36が与えられています。
ご一緒にしばらく、この個所について、考えてみたいと思います。今日の主イエスのお言葉は、「しかし、あなたがた、聞いている者たちに私は語る」と訳せるお言葉で始まっています。
しかし、なぜ「しかし」なのでしょうか。先週は、あなた方、貧しい者は幸いであると始まり、後半で、あなたがた今富んでいる者は不幸である、既に報いを受けてしまっているから、云々とありました。それに対して、主は、「しかし」私の弟子であるあなた方に、それにふさわしい生き方を改めて示そうと言われ、今度は私たちキリスト者がどうふるまえべきか、取るべき態度、よき行い、愛の生活を教え、命じられるのであります。
 そのように言いまして、主は、まず、「あなた方の敵を愛し、憎む者によくしてやり、あなた方を侮辱する者のために祈りなさい」と言われます。私たちは、友人であっても、信仰の友であってさえも、その友情を保つことは、なかなかできないという体験を味わわされます。しかし、主は、さらにあなたの敵をも愛せよと命じられるのであります。これは、利害関係のある愛情、自分に都合がよい愛情を保つようにということとはまったく異なる、神が十字架のみ子の死をもって示される神的な愛からのみ出てくるものであります。
そして、私たちは、本性としてはそのような気高い愛は持ち合わせていないのであります。立派な人は、キリスト教でなくても、私たちの周りにもおられます。しかし、主がいわれるような愛的の実践は、神なしには、人間の本性からは不可能に近いのであります。
主は、「あなたの一方の頬、顎骨に一撃を食らわす者には、他の顎骨をも向けてやりなさい。また、あなたの上着を取り上げる者には、下着をも拒むな。あなたに要求するすべての者に与えなさい」と、言われ、「あなたから金を借りようとするものには、戻してもらうことを期待しないで貸しなさい」と言われます。そしてさらに、「あなたに人々がしてほしいその通りに、あなたは彼らにしなさい」と言われました。黄金の法則と言われるものであります。
「隣人を自分のように愛しなさい」と旧約聖書のレビ記19:18にありますが、ヒーレルという当時のラビは、「自分にしてほしくないことはするな」と言い、レビ記のその言葉が律法全体を要約しており、あとの旧約聖書全体はその説明に過ぎないとまで言いました。 
しかし、主は、「自分が人々からそうされたいと願うその通りに、人々にも行え」と言われ、私たちがそのような愛に生きることを求められました。そして、言われるのです。「自分を愛してくれる人を愛しても、どんな恵みがあろうか、それは罪人たちもしていることである。人には何も当てにしないで貸してやれ、自分にまた返してもらうことを期待しながら貸したとて、どんな恵みがあろうか、罪人たちもそのようにしているではないか。しかし、あなたがたは、敵を愛し、人々によいことをし、返してもらうことを何も当てにしないでで貸してやれ。そうすれば、あなたがたは、いと高き方の息子たちとなり、大いなる報いがある」と。何も当てにしないでとは、絶望しないで、望みを捨てないで、とも訳せます。人ではなく、神に望みをおいてふるまえと言われるのです。
そして、「なぜならば、いと高き方、父なる神は、感謝をしない者にも、邪悪な者にも、情け深い、すなわち親切であるから」と言われ、最後に「父が憐れみ深いように、あなた方も憐れみ深い者になりなさい」と言われるのであります。マタイは、「父なる神は、善人にも悪人にも雨を降らし、正しい人にもそうでない人にも太陽を昇らせるお方であり、あなたがたはそのように完全な者になりなさいと言われます。神との関係でまっすぐであることが、すべての人に対して親切であり、情け深いということなのであります。
私たちは、父なる神の息子たちとして約束されている者として、日々悔い改めながら、ふるまい、本日のみ言葉に頼って歩んでいきたいものであります。それは、そのような愛の生き方こそ、神の恵み、神からの信望と評判、ご好意と、そして報いを受ける、神の報酬が約束されている生き方だからであります。
一言祈ります。
父なる神さま。あなたのみ子主イエス・キリストのお言葉は真実です。私たちの信仰生活は、日々戦いの連続でありますが、イエス・キリストのお言葉によって日々新たにされ、新約・旧約聖書のすべてのみ言葉において導かれ、日々罪に死に、新たに悔い改める生活を過ごさせてください。キリストによって祈ります。アーメン。





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2007/02/11(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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