津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「人間をとる漁師に」(ルカ5:1~12)
ルカ5:1-11、2007・01・28、顕現節第4主日(典礼色―緑―)
エレミヤ書1:9-12、コリントの信徒への手紙一12:12-26

ルカによる福音書5:1~11
 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せてきた。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。




説教「人間をとる漁師に」(ルカ5:1~11)

本日は、顕現節第4主日であります。そして、本日は、この礼拝の後、津田沼教会の総会をひかえています。このような特別な日に、日課としてルカ福音書5:1-11が与えられていることは、神さまの導きではないかとさえ思えるのであります。本日の福音の出来事について、皆さんとご一緒にしばらく考えてみたいと思います。
 本日のルカ5:1-11は、ペトロの召命、そしてさらに、ゼベダイの子ら、ヤコブとヨハネの召命にも関わる出来事であります。ゲネサレトの湖畔で、主イエスが立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆が押し寄せるということが起こります。既に主は、その評判がカファルナウムや、ゲネサレトの湖畔の町々に知れ渡っていたのであります。そして、本日の出来事の前に、主はシモンの姑の病気をいやすことをなさっていますので、ある程度、既にシモンたちは、弟子となっていたと考えられます。シモンたちは、一晩中漁をしましたが、1匹もとれませんでした。徒労に終わった漁の後始末に、彼らは、網を水で洗っているところでありました。そんなときに、主イエスは、二そうの泊めてあった船のうちの一そう、ペトロの船に乗り、少し岸辺から漕ぎ出してくれるように頼んだのであります。そして、主イエスはその船の上に座って、群衆に教えておられたのであります。主は何を語られていたでありましょうか。神の言葉であり、それは、神の国の福音に関わるものであったでありましょう。神が私たちのもとにきて、ご支配してくださる、その救いの招きについてであったでありましょう。
さて、話を終えられると、シモンに深みに漕ぎ出して、漁をするために網を降ろすように招いたのであります。シモンは答えました。「先生、私たちは一晩中懸命に働いたけれども1匹も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしに行ってみましょう」。兄弟のアンデレが一緒だったでありましょうか。彼らが沖に漕ぎ出し、深みで網を降ろすと、おびただしい数の魚をいっぱいに囲み、網が裂けはじめたほどでした。彼らはもう一そうの船にいた仲間たちに合図を送り、やってきて一緒に助けてくれるように求めました。もう一そうの者たちもやって来て、網をあげると、舟は魚の大量で沈み始めるほどでした。そのようなおびただしい魚群が、ゲネサレトの湖、ガリラヤ湖では、今でもしばしば見られるそうです。しかしその時、シモン・ペトロは、言いました。「私から離れてください、私は罪深い男ですから、主よ」と。知識による奇跡をもたらした主イエスを、ペトロは神から来られた聖なる方であることを知ったのです。しかし主は、言われました。「恐れるな。あなたは、今からは、人間たちをすなどる者になるであろう」。大きな大漁に恐れを彼らは抱いていたからであると、聖書は記しています。亀井勝一郎氏は、主イエスはどうして、ペトロたち太古の漁民をそのままにしておかなかったのだろうかと書いています。しかし、私たち人間は、神と共に歩むことなくしては、真に人間らしい人間になることはできないのであります。
彼らは舟を陸にまであげて、その大漁の魚も、網や父も何もかもすべてを後にして、主イエスに従ったのでした。本日の出来事はまた、ペトロたちがその後、すなどることになる地中海一帯の多くの人々を表す大漁でもあったでしょう。
私たちもまた、2007年度、人々を教会へと招き、すなどる1年を求めて、津田沼教会の総会をこれから開こうとしています。私たちも、ペトロと同じように罪深い人間ですが、主は、何事も恐れることなく、私にすべてを託して従ってくるようにと招いてくださっています。自分の罪深さにおののくことなく、主にすべてを告白しつつ、人々を教会に招き、人間をとる漁師であると共にまた、牧師も信徒・求道者のみなさんも、私たちは互いに世話をしあう羊飼いでもあることを忘れずに、この一年を過ごしてまいりましょう。

私たちの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。アーメン。

スポンサーサイト
2007/01/28(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。