津田沼教会 牧師のメッセージ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「マリアのエリサベト訪問」(ルカ1:39-45)
 ルカ1:39-45、2006・12・24、待降節第4主日(典礼色―紫―)
ミカ書5:1-4a、ヘブライ人への手紙10:5-10

ルカによる福音書1:39~45
 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」



説教「マリアのエリサベト訪問」(ルカ1:39~45)

 皆さん、クリスマス、おめでとうございます。正確には、クリスマスは12月25日でありますが、今年は本日12月24日が日曜日にあたるものですから、本日は、待降節第4主日兼クリスマス主日として、津田沼教会では祝うことにしました。そして、順序は逆になりますが、今晩7時から再びクリスマスイブの礼拝を守ることにしました。場所によっては、たとえば、私の田舎の教団の教会では、昨夜クリスマスイブの礼拝やキャロリングをすましたらしく、本日を順序正しく、クリスマス主日として守るようであります。
3時から予定していますので、クリスマスを表す白に変えて祝い、今年は、2007年の顕現主日1月7日の前の日、今年はちょうど1月6日の顕現日までの14日間をクリスマスとして祝うわけであります。
 待降節第4主日に与えられている福音書の箇所は、ルカ1:39-45であります。非常に短いエピソードといいましょうか、主ご降誕前の出来事であります。12月の第1日曜日、12月3日から教会暦における新年が、すなわち、アドベントが始まりましたが、3年サイクルのC年であります今年の主たる福音書は、ルカであります。マルコ福音書からルカに変わって、ルカ福音書になじんでいくのにも、しばらく手間取るような思いがしています。ルカは、医者であったともいわれており、また、他の福音書記者と比べてよく分かるのは、同じ著者であります使徒言行録などを考えても窺えるように、歴史家としての一面が特徴的であります。少し、前置きが長くなりましたが、本日の福音、ルカ1:39-45をもう一度、思い起こしてみましょう。先週の天使ガブリエルによる受胎告知に続く出来事であります。マリアは、「そのころ」、もとの文では、「それらの日々において」、準備をして、急いで山里、丘陵地帯へと、ユダの町へと行ったのであります。マリアは、み使いから示されたように、後の洗礼者ヨハネを身ごもって6ヶ月になる、そしてまた、親類でもあるエリサベトを訪ねるのであります。それがどこであったのかは、わかりません。ヘブロンであったのか、それとも、名もなき小さな山里の町であったのでしょうか。その親密な関係からは、ヨセフとマリアは、以前ベツレヘムか、エリサベトの町の近くに住んでいたとも想像されます。また、エリサベトは親類であり、既に年をとっていたとありますから、マリアとは叔母と姪のような関係にあったのでしょうか。
 マリアが、ザカリアの家に入って、エリサベトに挨拶をしました。すると、エリサベトのお腹のなかの胎児、後の救い主の先駆者であり、洗礼者ヨハネとなる赤ちゃんが、喜び、お腹の中で踊ったのであります。母親の経験している感情が、胎児に影響を与えるということは、私たちも、よく知るところであります。エリサベトは聖霊に満たされ、声高らかに、喜びの叫び声をあげます。そして、ここで最初の「幸いなるかな」という言わば賛歌を短く歌っているのであります。あなたは、女たちの中でも特別に祝福されています。あなたの胎内の実、お子さまも祝福されています。主の、すなわち、メシアのお母さまが、私を訪ねてくれるとはどういうわけでしょう。あなたの挨拶を耳にしたとき、私の胎内の子は喜びおどりました、喜びに満ちてはねましたというのです。ザカリヤに天使が示したように、その子は胎内にいるときから、聖霊に満たされていたのであります。そして、エリサベトは、最後に次のように語ったとも訳すことができます。すなわち、「信じゆだねた方は、幸いである、祝福されている。なぜならば、主からその人に語られたことは、必ず実現するであろうから」と。
 私たちは、ここで、旧約聖書の創世記で、エサウとヤコブがレベカのお腹の中で押し合ったという記事を思い起こします。先に生まれた者、兄のエサウが後から生まれた者ヤコブに仕えることになるであろうという出来事を思い起こします。ルカは、歴史家の目でこの福音書を書いていますが、しかしあくまでも聖書の土台の上に立って、歴史の中で起こった救い主の誕生の出来事、そのなさったみ業とその意味を明らかにしようとしています。主イエスは、ルカの後の記事の中で、女の中から生まれた預言者のうちで、洗礼者ヨハネよりも偉大な者はいなかった。しかし、神の国ではその最も小さい者も、彼よりは大いなる者であるといわれています。すべての母親、女の人たちは救い主の母になることを、ユダヤでは、その当時願っていたそうです。神さまは、しかし、それまで、名も知られていなかったナザレという寒村の田舎娘を救い主の母としてお選びになりました。
 マリアは、この後、3ヶ月、共にいて、ナザレへと、いい名づけのヨセフの下へと帰っていったのであります。待ちに待たれた救い主の誕生が、こうしてまもなく実現するのであります。そして、私たちは、こうしてお生まれになり、神の国を説き、奇跡やいやしをなし、ついには、私たちの罪のために、十字架におかかりになった主イエスが復活し、天の父の右の座に着いておられることを信じています。
そして、世の終わりに、このお方は、私たちを、羊と山羊のように、右と左に分けるために再び来られるのであります。
 本日は、この後、洗礼式と転入式があり、そして、聖餐に与ります。マリアのように、主からのお言葉が必ず実現することを信じる者として、新しい一年を過ごしたいものであります。
祈りましょう。
 天の父なる神さま。
待降節、そして、クリスマスと私たちは教会暦の新しい一年を歩みだしています。本日は洗礼を受ける姉妹もおられます。また、一年に一、二度しか礼拝に与れない方、さらに、出席したくても出席できないご高齢の方や事情のある方、療養中の方なども一方にはおられます。
 どうか、私たちが、どこにいても常にキリストを仰ぎ見、キリストから離れない一年を歩ませてください。今年は、ルカの福音書が中心に読まれます。ルカが強調しますように、この一年も悔い改めの日々を、み言葉と共に歩ませてください。この感謝と願いを、キリストのみ名によっておささげします。アーメン。
スポンサーサイト
2006/12/24(日) 10:30:03| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。