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津田沼教会 牧師のメッセージ
「お言葉どおり」(ルカ1:26~38)古越俊行牧師説教
ルカ1:26-38、2006・12・17、待降節第3主日(典礼色―紫―)
サムエル記下7:8-16、ローマの信徒への手紙16:25-27

ルカ福音書1:26~38
 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。



説教「お言葉どおり」古越俊行牧師(日本福音ルーテル教会引退教職)

 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。アーメン。
 本日の福音書の日課は、ルカ1章26節から38節です。マリアへの受胎告知の場面です。昔から、芸術家は、好んで聖書を題材にして作品を生み出してきましたが、受胎告知の場面からも、音楽家は「アヴェ・マリア」を作曲し、画家たちは、絵筆をふるって、それぞれ名画を生み出しました。レオナルド・ヴィンチの描いた『受胎告知』は、フィレンツェの美術館で140年間門外不出とされて来たそうですが、来年3月20日から、日本で公開されるそうです。
 教会は、この受胎告知を、信仰告白『使徒信条』の中で、こう表現しています。「聖霊によりて宿り、おとめマリアより生まれ、ポンティオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・」と。
 さて、天使ガブリエルから、「あなたは身ごもって男の子を産むであろう」と告知されたときの、マリアの驚きは、いかばかりだったでしょうか。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人をしりませんのに」と、全く考えられない、とても信じられない、と言わんばかりの反応を示しています。
 マタイ福音書は、いいなずけヨセフの立場で、その驚きを表現しています。
 マタイ1章18節以下によると、「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」と、この出来事へのヨセフの反応を記しています。
 マリアもヨセフも、一人の人間として、特に、律法のもとに生きるユダヤ社会の一員として、当然の反応でありました。しかし、マリアもヨセフも、そこで不信に陥ることはありませんでした。二人が下した決断は、もちろん、常識を超えたものです。
 マリアは、天使ガブリエルの言葉を、主なる神の言葉として聞きました。その結果、「お言葉どおり、この身に成りますように」と、すべてを受け入れていく決心をします。
 ヨセフも、夢の中に現れた天使の言葉に従って、事態を受け入れ、すべてを神に委ねていく決心をしております。
 二人とも、天使の言葉を神の言葉として信じ、受け入れ、「神にできないことは何一つない」という約束に、すべてを賭けて、決断しているのです。
 マタイ19章を見ると、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねた青年に、イエスは「天に富を積み、わたしに従いなさい」と教えられました。しかし、悲しみながら立ち去る青年の姿を見送りながら、イエスは弟子たちに「金持ちが天の国に入るのは難しい」と言われました。「それでは、だれが救われるのだろうか」と驚く弟子たちに、イエスは「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と教えられました。
 「神にできないことは何一つない」。この聖書の言葉は、今日も響いている、主なる神の力強い言葉、約束の言葉であります。ヨハネ黙示録22章6節と7節には、こう記されています。
 「そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」と。
 マリアの訪問を受けたザカリアの妻エリサベトも、マリアに言います。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。あの「マリアの賛歌」(マグニィフィカト)が、マリアの信仰告白として歌われるのです。
 問題は常に、神の側にあるのではなく、人間の側にあります。
 もう40年ほど前に、出版された一冊の本があります。日本語を勉強している宣教師たちのために作られた、ハンドブックで、英語とローマ字で書かれています。それは、「ナイアガラの滝の物語」というものです。
1. 救われる、ということは、簡単に言えば、どういうことであるか、と、多くの人は知りたがっています。
2. 私は、この救いを「ナイアガラの滝の物語」を引いて、説明してみましょう。
3. ナイアガラの滝は、日光の華厳の滝の何十倍もあるほど、大きな滝です。
4. このお話によると、ウォーカーさんという人が、毎週一度、長い針金をナイアガラの滝の端から端まで渡して、その上に樽をころがしながら渡るのでした。
5. その日は、ウオーカーさんの綱渡りが行われる日でした。
6. 見物人の中で、3人の人が、話しておりました。
7. 一人が言いました。「私は、ウォーカーさんが綱を渡るのを、この目で10回も見た。今日もあの人はきっと渡るにちがいない」と。
8. もう一人が言いました。「いや、彼は、今日は落っこちる」と。
 すると、先の一人が言いました。「いや、いや、きっと渡る」と。
9. こんなことを、しばらく言い合ってから、二人は、とうとう、「じゃあ、ひとつ、賭け  
 をしよう」と言いました。
10. そうして、二人はポケットからお金を取り出して、3番目の人に、「賭けが済むまで、このお金をあずかっていてください」と頼みました。
11. 3番目の人は、「ええ、喜んで」と言って、さらに、「しかし、あなたは、一体、私が誰だか、知っていますか?」
12. 「いいえ、知りません。どなたですか?」
13. 「私はね、あなたが、今、賭けをしようとしているウオーカーです。」
14. 「あなたは、私が、向こう岸まで渡ると信じるなら、一つ、お願いがあります。」
15. 「どうぞ、私の樽の中に入ってください。私はあなたを、樽と一緒にころがしましょう。いいですか?」
16. その男は、急に怖くなって、「喜んでそうしたいんですが、私は、今、歯医者へ行かなければならないんで、ね。じゃ、さよなら。」と言って、逃げてしまいました。
17. あなたは、この人を笑うかもしれませんが、この男は、あなた自身であるかもしれません。
18. これは、救いの例です。
19. 人間は、3つの部分、すなわち、感情・意志・霊性すなわち、知・情・意を持っています。
20. 第1、この人は、ウォーカーさんが、渡るということを頭で信じました。
21. しかし、彼は、樽の中に入りましたか?。いいえ!
22. 第2に、感情が働きました。この人は、ウォーカーさんを信じて、ポケットからお金を取り出しました。
23. この人は、樽の中に入りましたか?。
24. 第3に、これは最も大切なことですが、彼は、ウォーカーさんを信じた以上、自分の意志を殺して、ウォーカーさんを信じ、頼って、その樽の中に入るべきだったのです。
25. しかし、樽の中に入りましたか?
26. いいえ!、彼は、最も大切なところへ来て、言い訳を言って、逃げてしまったのです。
 滝の上に張られた1本の綱、それは、天の父に至るキリストの道でしょうか。樽に乗るか乗らないか、決断を迫られます。しかし、罪人である人間の弱さは、最も大切なところで、逃げ出します。
 旧約のヨブのように、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」と言い切れない。マリアのように、「お言葉どおり、この身になりますように」と言い切れない、例話の中の人物のように、「樽の中に入ります」と言い切れない、それが人間の弱さです。
 しかし、信仰・救いは、この弱い人間の決断に先行する神の恵みのみ業です。先ず、神がかえりみてくださった。そして、み言葉を与えてくださった、その結果、信仰が起こされます。神のみ言葉があっての信仰です。信仰は、聖霊の働きです。そして、聖霊は常にみ言葉と共に働くのです。
 天使ガブリエルは、マリアに、「主があなたと共におられる」「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」と告げました。それは、マリアに与えられた神のみ言葉です。その結果、「お言葉どおりに」というマリアの信仰が起こされたのです。
 主イエスの誕生は、神の救いのみ業です。神が、わたしたちのところへ、神の方から来てくださった出来事です。その恵みの支配は、あなたの上にも臨み、終わることなく、いつまでも続きます。
 クリスマスと、新年が、み言葉に導かれたものとなりますように。
祈りましょう。
 天の父よ。
 あなたは、深いあわれみをもって私たちをかえりみ、わたしたちを救うために、救い主み子イエス・キリストをお贈りくださいました。また、日ごとに、豊かな恵みをもって支え、導いていてくださいます。
 どうか、私たちが主に信頼し、すべてを委ねて生きることができますように、み言葉を与え、聖霊の助けと導きを与えてください。
 津田沼教会の働きの上に、渡辺牧師はじめ信徒一人一人の上に、恵みと祝福が豊かにありますように。
 主イエス・キリストのみ名によって、祈ります。
アーメン。

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2006/12/17(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)