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津田沼教会 牧師のメッセージ
「叫ぶ石」(ルカ19~28~40)
ルカ19:28-40、2006・12・03、待降節第1主日(典礼色―紫―)
エレミヤ書33:14-16、テサロニケの信徒への手紙二3:6-13

ルカによる福音書19:28~40
 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
「主の名によって来られる方、王に、
祝福があるように。
天には平和、
いと高きところには栄光。」
すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」


説教「叫ぶ石」(ルカ19:28~40)
私たちは、本日からアドベント、それは到来という意味ですが、私たちの日本語では待降節と呼んでいます教会暦の新たな一年を迎えています。アドベントで教会暦の一年が始まるということは、第1のアドベントである2000年前に、主イエスがお出でになられたということと共に、第2のアドベントである終末のときの主イエスの再来を待つということでもあります。そして、本日のエルサレム入城の記事が、一年の教会暦の最初に必ず読まれるということは、先週の聖霊降臨後最終主日の記事につながっているのであります。
そして、本日からは、ルカ福音書を中心として用います、三年サイクルのC年に入りました。先週までの、マルコ中心の一年から、ルカ福音書への切り替えの時を迎えました。
さて、ルカ福音書については、「旅空のイエス」というルカの解説書がありますが、ルカ9:51から、エルサレムに向かって旅をする記事が中心となります。そしてまた、ルカ福音書の最初の出来事もエルサレム神殿でザカリアが洗礼者ヨハネの誕生の知らせを天使を通して聞くことから始まり、ルカ福音書の最後も、弟子たちがエルサレム神殿で絶えず神をほめたたえて礼拝をしていたという記事で終わります。これを見ても分かるように、エルサレムが中心となって記事が展開されています。そしてまた、悔い改めの大切さや、異邦人に、すなわち全人類に救いがのべ伝えられるということが、大きなテーマとなっています。
さて、本日は、エルサレム入城の記事であります。ご存知の通り、アドベントの始まる日曜日と、受難週の始まる枝の主日にここだけが毎年2回にわたって読まれます。それほどに、本日の記事は教会にとって重要な出来事であるということが窺えます。
本日の記事をご一緒に、もう一度思い起こしながら、考えてみたいと思います。イエスはムナの譬え話を終えられると、既にエリコをたって、エルサレムを目指して先に立ち、進んでいかれます。そして、ベトファゲとベタニア、これは、ベトファゲのほうがエルサレムにより近いとされているのですが、そのふたつの地区一帯をベトファゲと呼んでいたのかもしれません。
さて、そこに近づいたときに、二人の弟子、多分、ペトロとヨハネでしょう、その二人を遣わして言われます。向こうの村へ行きなさい、そうすると、まだ誰も乗ったことのない子ろばがつながれているのをあなたがたは見出すであろう。それを解いて引いてきなさい。もし誰かがなぜそんなことをするのかと訊いたら、主がお入用なのですと答えなさい。そして、彼らが出かけていくと、彼らに言われたとおりに出来事が起こるのを彼らは見出します。まだ誰も載ったことのない、というのは、神聖な動物が用いられることが、メシアにとってはふさわしいからであります。彼らがほどいていると、その持ち主たちがなぜそんなことをするのかと訊きます。彼らは、主がお入用なのですと、主イエスに言われたとおりに答えます。主イエスは、神の子、メシアですが、自分お一人で、救いを達成しようとはなさらず、主の御用に当たるものをおもちいになります。私たちも、たとえどんなに私たちが欠けの多い弟子でありましても、主は必要とされるのです。事柄が主の言われたとおりに進行し、彼らは主のもとにその子ろばを引いてくると、上着を子ろばの上にかけ、主イエスをお乗せします。他の者たちも服を脱いでその前に広げます。これは、人々がそうしたとありますが、ガリラヤから巡礼に来ていた大勢の弟子たちの群れがそうしたとも読めます。そして彼らは、見聞きした主イエスのなさった奇跡どもをほめたたえ、喜びながら大声で歌います。「主のみ名によってこられる方、王に、祝福があるように、天には平和、いと高きところで栄光があるように。」ルカは、ホサナという言葉を用いず、また、ダビデの国にといった言葉も用いません。なぜならば、全人類の救い主であるメシアである主イエスをほめたたえるからです。ファリサイ派の人々は、その大勢の弟子たちの賛美と歓呼を防ぎえず、騒ぎとなることも恐れて、その代わりに、主イエスにやめさせるように叱ってくださいと詰め寄ります。しかし、主は、彼らが黙ったなら、石が叫ぶであろうとお答えになるのです。主イエスこそが、メシアであり救い主であることを、何者も隠しておくことはできず、周りに転がっている石でも、弟子たちがやめたなら、代わりに叫ぶことであろうと答えられるのです。今や、主は、これまで秘めてきた御自身がメシアであることを公然と宣言し、子ろばをもお用いになって、全人類の救い主、メシアであることを宣言なさいます。私たちも、この弟子たちの一人として、再びお出でになられる、終末のときにまた、お出でになられるメシア、主を待ち望み、子ろばに乗って来られる平和の君、王であるイエスをそれぞれの心の中に迎える備えをしながら、一年の教会暦の初めをスタートしていきましょう。
父なる神さま。
また、新しい一年間の歩みを始めました。あなたの証し人として、本日の弟子たちのように、心から主、救い主の到来をほめたたえる一年を過ごさせてください。主こそ、私たち全人類の救い主、平和の君であります。キリストによって祈ります。アーメン。 
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2006/12/03(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)