津田沼教会 牧師のメッセージ
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「神の支配に与かる」(マルコ12:28~34)
マルコ12:28-34、2006・11・12、聖霊降臨後第23主日(緑)
申命記6:1-9、ヘブライ人への手紙7:24-28

マルコによる福音書12:28~34
彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟はこれである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。




説教「神の支配にあずかる」(マルコ12:28~34)

 先々週から、宗教改革主日、全聖徒主日と終えまして、再び、私たちは、マルコによる福音書に戻ってきました。もう本日は聖霊降臨後第23主日で、一年の教会暦の主日の残る回数は、本日を含めて、3回のみと残り少なくなってきました。本日与えられました福音の個所は、先ほどお読みしましたように、マルコによる福音書12:28-34であります。私は、説教題を「神の支配に与かる」というふうに付けておきました。私たちは神のご支配のうちに生活したいからであります。
 さて、本日の出来事、ある律法学者と主イエスとの短い対話のやり取りをもう一度、思い起こしてみましょう。復活後の命について、主がサドカイ派の人々と論争しているのを聞き、そこにおいて主が見事に答えられたの見て、この律法学者のうちの一人は、近づいてきた後、主に質問するのであります。既に、主イエスはエルサレムにお入りになっており、その数日後には、十字架の死に付けられるという場面設定の中においての主のお言葉であります。「どういうものが、すべての律法のうちで第一の命令でしょうか」と。主は言われます。直訳すると「第一はこれである。すなわち『聞け、イスラエルよ、わたしたちの主なる神は唯一の主である。そして、あなたは、主なる神を愛するであろう、あなたのすべての心から、あなたのすべての魂から、あなたのすべての理解力から、あなたのすべての力から。』第二はこれである、すなわち『あなたはあなたの隣人をあなた自身のように愛するであろう』。これら以上により大きな命令は他にはない」と。これらの言葉は、本日の第一の朗読で読まれました申命記6:4、5とレビ記19:18とを引用し、一つのものとして取り出されたものであります。
 それに対して、律法学者は、言います。これも直訳しますと、「あなたは、見事に、真実に向かって言われました。『神は唯一であって他にはおられない。そして、神を、心のすべてから、知力のすべてから、力のすべてから、愛することと、隣人を自分自身のように愛すること』は、すべての焼き尽くす献げ物や犠牲よりもよりすばらしいことです」と。そして、主イエスは、彼が「適切に」すなわち、思慮深く賢く答えたのを見て、彼に言うのであります。「あなたは、神の国から遠くない」と。そしてもはやだれもあえて彼に質問しようとする者はいなかったというのであります。
 つまるところ、人を愛することは、神を愛することであると主は言われるのであります。しかし、1週間の私たちの有り様を振り返りましても、すべての人を愛するということはとてもできないことであります。それどころか家族など親しい者をも心から十分に愛することはできません。また、誤解や憎しみが、人間関係においては容易く起こりがちであります。言葉と行いと思いとをもってみ前に罪を犯すのが私たちの1週間の現実でもあります。
しかし、主イエスは、あなたの主なる神を全人格をあげて愛し、また、自分自身のように隣人を愛するという律法の命令が最も重要な掟であると旧約聖書からふたつの言葉を取り出して一つにして、明言なさったのであります。これは、先ほども言いましたように、主イエスが十字架におつきになることを前提に話しておられるのであります。このお言葉を語っておられる主イエスは数日後には十字架の上の人となられるのであります。すなわち、私たちが神を愛するよりも前にみ子の全生涯とその死を通して、神が今からおよそ2000年も前に、私たちの罪を赦し、先に愛してくださっているのであります。
 この律法学者は、「神の国から遠くない」と主イエスによって言われています。主イエスと共に、神のご支配、永遠の命は既に存在しているのであります。その神の支配の中を生き、救いに与かるか、それとも、裁きに服するかの選択を私たちも求められています。神を愛するというと、礼拝とか、聖書を読んだり、祈りをすることを考えがちです。しかし、縦の関係である神を愛することは、横の関係である身近に触れ合う人を愛することと不可分なのであります。人を愛することを通して、神を愛するということが具体的に分かってくるのであります。神さまが私どもを先に愛してくださった。そして、十字架におつきになろうとしている主イエスが今日のお言葉を語り、神の支配のうちに生きるように、この律法学者を、そしてまた私たちを、招いておられるのであります。祈りましょう。
天の父なる神さま。
 私たちの送る1週間の間にも、多くの人間関係の悩みや不安や疑い等が襲ってきます。しかし、私たちには、特に、福音、キリストのお言葉が1週間ごとに与えられています。どうか、それによって、守られ、力づけられて1週間、1週間を歩ませてください。なかなか解決できないでいる課題もめいめいが負っております。しかし、み言葉に励まされてそれらを一歩一歩解決し、改めていく力をお与えください。そして、あなたのご支配に与かって日々を過ごし、それぞれの負わされている問題に力強く立ち向かっていくことができますように。キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。

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2006/11/12(日) 10:30:01| 未分類| トラックバック(-) コメント(-)
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